第10回 特別編 白髪染・ガラス瓶の歴史(その2)

1.はじめに

先回は白髪染における最も重要な製品、「千代ぬれ羽」と「ナイス」を紹介しました。今回はその次に重要な製品の「君が代」と「黒蝴蝶」を取り上げます。この二つの製品は、非常に人気が高い割には知られていないことがたくさんあります。特に「君が代」のガラス瓶がいったい何種類あるのか、おそらく誰も数えた方はいないと思います。ここではその問題の他に、それらのガラス瓶を分類する方法について、皆さんのブログ、オークションからの画像を基に明らかにしていきたいと思います。

戦前・戦後の君が代

今回は次の製品を紹介します。 

白髪染製品一覧表(その2)

2.製品別解説

(1)君が代

発売年:明治43年(<解説>参照

発売元:山吉商店

製品構成:液体一剤式、液体二剤式、粉末二剤式、粉末三剤式

<山吉商店の歴史>

明治38年 山吉商店創業(山本吉郎平)

明治43年 「志らが染 君が代」を創製

事業拡張を行う。(初代山本吉太郎)

昭和15年 二代目山本吉太郎、襲名

昭和24年 「染毛剤懇話会」発足、理事長に就任

昭和50年代 山本雄次郎、社長就任

ガラス瓶評価のための分類法について

ところで、君が代のガラス瓶はいったい何種類あるのでしょうか。それを確かめるためブログや、オークションの画像からリストアップし、その分類を以下の方法で試みました。

ⅰ.外観による分類 (注:瓶の名称については見た目でつけました)

染料瓶

染料瓶1

角瓶

角瓶2白髪染製品一覧表(その2)角瓶6,7角瓶10,11角瓶17角瓶18

平瓶

平瓶3平瓶9

丸瓶

丸瓶12,13丸瓶14

角柱瓶

角柱瓶16

重複がないように、類似の瓶については比較確認しました。さらに年代を確認するため、ほかの分類法も検討しました。

ⅱ.エンボスによる分類

君が代ガラス瓶の製品名には二種類のエンボスが見られます。

・製品名「君が代」と「君か代」について(が、かは旧字)

君が代のガラス瓶に詳しい方ならばお気づきと思いますが、そのエンボスは二種類。

「君 代」と「君 代」

左二本が君か代、右が君が代

当初は、古いのが「君か代」で新しいのが「君が代」と考えていましたが、調べていくと結構単純ではないとの推理に至りました。

多くのブログ写真から以下のような傾向が分かりました。

エンボス混在

表2に示すように、角瓶については「君か代」が液体二剤式に、その後「君が代」が粉末二剤式につけられたものと考えています。ただ、平瓶についてはまだ資料が不十分なので、更に調査が必要です。

・甲、乙のエンボス表示について

この表示は、本来「液体二剤式」、例えばナイスのような、染料を含む甲剤と酸化剤を含む乙剤からなる剤型の場合に使われています。また、その後に登場した「粉末二剤式」、例えばわかやなぎでも、染料を含む甲剤と酸化剤を含む乙剤との表示が使われています。つまり二剤式製品には基本的に甲、乙の表示があります。(当然それ以外の剤型には甲、乙表示はありません)

以前ブログで見かけたのですが、君が代スクリュー瓶で、透明瓶を甲、褐色瓶を乙として、二本を混ぜて使うように紹介していた例がありましたが、これは誤りです。ともに過酸化水素を入れた瓶で、甲、乙の表示も有りません。(Hydrogen oxideのエンボスがあります)

君が代20-1君が代20-2

写真のようにそれぞれ透明瓶、褐色瓶の入った製品が発見されています。時代によって瓶を使い分けていたのでしょうか。

外観やエンボスだけではガラス瓶の時代が分かりません。そこで今まで収集した新聞広告を利用することを考えました。 

・新聞広告よる分類

新聞広告の中に、発売品目を記載しているものがかなり見られます。(一部の品目ですが)

これと広告出稿年を重ね合わせると、いつどんな剤型の製品が発売されたかが推定できます。

君が代広告21

ただし、括弧内の剤型は推定したものです。

明治44年 特製大・小(液体二剤式=ナイスタイプ)

      並製大・小(液体一剤式=千代ぬれ羽タイプ)

大正 4年 別製(液体)・・・並製の名称変更?

大正 9年 パッケージの変更。液体一剤式は廃止。

      特製粉末(粉末二剤式)

      別製液剤(液体二剤式)

昭和 6年 新製(粉末三剤式=るり羽タイプ)

昭和 7年 新製(粉末三剤式)

      粉製(粉末二剤式)

      液製(液体二剤式)

なお、後で出てくる 写真23(大正元年広告)の文中に、「従来大瓶は液体、小瓶は粉末だが今回から小瓶も液体に変更」と書かれています。つまり、明治時代には粉末一剤式の製品を発売していた可能性があるようですが、それに対応したガラス瓶はまだ見つかっていません。

<解説>

上記の製品の流れに、外観、エンボスの情報を組み合わせたのが次の表です。

表2 君が代、君か代製品の流れ

表3 君が代、ガラス瓶データ一覧

結論としては

・染料瓶タイプ

「君か代」エンボスの液体一剤式製品は明治43年から大正9年

・角瓶

「君か代」エンボスの液体二剤式製品は明治末から昭和19年まで

・角瓶

「君が代」エンボスの粉末二剤式製品は大正9年から昭和19年まで

・丸瓶

「君が代」エンボスの粉末三剤式製品は昭和6年~昭和30年代まで

・角柱瓶タイプ

「君が代」エンボスの粉末三剤式製品は昭和30年代のもの

・瓶に関しては資料が少なく、なお調査中

君が代に関する疑問について

(い)君が代の発売年は

本稿第7回で、君が代明治38年発売説について報告しましたが、今回新たに見つかった業界紙広告から、君が代発売年を明治43年としました。

君が代広告22

従来、明治38年説の根拠としては、日本化粧品工業連合会の「化粧品工業120年の歩み」中にある年表に、「明治38年、しらが染君ケ代創業(君ケ代本舗 山吉商店)」との記述がありますが、これを「しらが染君が代の発売明治38年」と誤ったものと思われます。明治38年創業の山吉商店は、白髪染を発売する以前は麦わら帽子の製造をされていたようです。よって、今回の明治43年「発売謹告」広告が君が代の発売時期と考えました。

(ろ)エンボス「君が代」と「君か代」について 

明治43年の新聞広告では「登録商標 君か代」と書かれているのに、大正元年では「君が代」となっています。

君が代広告23

その理由として、先回報告したように、明治43年末に白髪染の安全性に関する新聞記事が掲載され、その後各地で白髪染の回収があったこと、明治45年に法改正があり、白髪染の購入方法が改められたこと、更に警視庁に許可を得るための申請が必要となったことがありました。ここからは推測ですが、再度販売する際に、従来品と区別するため「君か代 ⇒ 君が代」と製品名を変えたのではと考えました。

実は「君が代」だけでなく、この後解説する「初から壽」や「二羽からす」にも同様な、ちょっとした変更例が見られます。

ただ君が代の場合、「君か代」で発売した製品を長らく販売したため、そのエンボス瓶が多数発見されることとなったのではと考えています。

(は)君が代ガラス瓶の種類が多いことについて

今まで見てきたように、君が代ガラス瓶は現在分かっているだけでも17種類ですが、今後さらに増える可能性もあります。ではなぜこのように多種類となったのでしょう。

ホーユー株式会社の社史にこんな一節があります。大正末期の同業他社との販売競争を表したものですが、「従来この地域(静岡県)は定価八十銭の東京の君が代のほとんど独占的な市場であったが、そこへ二十五銭の元禄が進出して、市場を大きく拡大した。それに対抗して君が代は二十銭の新商品を発売・・・」と、市場競争が製品種類の拡大を表しています。

ただ、17種類は多すぎると思いますが・・・。

(に)君が代の年代特定について

パッケージからの年代確認情報をひとつ紹介します。

・製品パッケージからの情報

君が代は大正9年にパッケージ変更を行っており、前後で全く異なります。(旧パッケージは第8回の写真を参照

君が代広告24

また、社名も

明治43年~大正 5年   合資会社 山吉商店

大正 6年~昭和 6年   本舗 山吉商店

昭和 7年~昭和24年   有限会社「君が代 山吉商店」

昭和24年~昭和26年   株式会社「君が代 山吉商店」

昭和26年~        株式会社「志ら毛染 君が代」

昭和40年代        株式会社 君が代

と変遷しています。

 

現在、パッケージとガラス瓶が分かっているものを紹介します。

大正6年の新聞広告より

大正6年の新聞広告

角瓶と平瓶の組み合わせ

角瓶と平瓶の組み合わせ

新製君が代

新製君が代

 

    画像出典:

1.「海辺のコレクションボックス」2007.3.13

2.「平成ボトル倶楽部日記」2009.2.10

3.「あんてぃかーゆ便り」2015.7

4.「川原の一本松」2015.6.20

5.「拾うたんじゃけえ!」2017.5.29

6.「Bottles on the Seashore」2013.10.22

7.「小さなたからものを探して」2019.8.12

8. オークション

(2)黒蝴蝶

発売年:明治42年

発売元:宅間末広堂

製品形態:液体二剤式、粉末二剤式、粉末三剤式

ガラス瓶:角瓶

ガラス瓶:角瓶28-1ガラス瓶:角瓶28-2

平瓶

平瓶29

丸瓶

丸瓶30

粉末平瓶

粉末平瓶31

・黒蝴蝶のガラス瓶について

(1)エンボスの情報が少ない

黒蝴蝶のガラス瓶の表面には「黒蝴蝶」、裏面には「宅間謹製」のエンボスが多くみられます。更に、甲・乙の表示が見当たりません。君が代のところでも述べたように、二剤式製品は甲、乙表示が基本ですが、黒蝴蝶の場合は表示していないようで、過酸化水素の乙瓶には、「定量」のエンボスとなっています

黒蝴蝶エンボス

 

(2)無印乙瓶について

先日オークションで「黒蝴蝶の乙瓶」と言っている瓶を入手しました。

黒蝴蝶の乙瓶  

確かに角瓶と外観は類似していますが、この角瓶は裏面に「定量」のエンボスとなっています。ですからこの無印乙瓶が何かを確定するには、もう少し資料を集める必要があります。

 

(3)発売時期が確定できた製品例

黒蝴蝶34-1黒蝴蝶34-2

この黒蝴蝶は正面上部に証紙「NSK 日本染毛剤工業会」が見られます。日本染毛剤工業会は昭和22~24年に存在した染毛剤の団体(現在のヘアカラー工業会とは異なります)ですから、この製品はこの期間のものと言えます。このように、発売年が特定できる例はあまりありません。

新聞広告による情報

明治44年 大、小   =  (液体一剤式)

      特製大、小 =  (液体二剤式)

大正 2年 特製大、小 =  (液体二剤式)

      並製大、小 =  (液体一剤式)

      煉製    =  (着色料  )

昭和 3年 煉製    =  (着色料  )

      粉製    =  (粉末二剤式)

昭和 7年 粉製大、小 =  (粉末二剤式)

      煉製    =  (着色料  )

昭和19年 軽便    =  (着色料  )

      新小    =  (粉末三剤式)

      特小    =  (粉末二剤式)

以上をまとめると次のようになります。

表4 黒蝴蝶製品の流れ

訂正・・・表中の「軽便(着色料)」は「軽便(粉末一剤式)」の誤りです。

黒蝴蝶の濃緑色瓶について

黒蝴蝶ガラス瓶には他では見られない「濃緑色瓶」が存在します。「ナイス」や「わかやなぎ」などは「濃青色」「るり色」とよばれる独特な型の瓶が存在しましたが、黒蝴蝶の場合は、同じ形で無色透明と濃緑色が存在します。黒蝴蝶エンボス画像参照

どうやら、黒蝴蝶の瓶の種類が少ないわけはここにあるかもしれないと思います。透明瓶と着色瓶とは違う剤型の製品を入れた容器である可能性も考えられます。

黒蝴蝶発売時期について

宅間末広堂の創業は明治25年頃ですが、白髪染を発売したのは明治42年です。これは次に述べる商標裁判の公文書中にその記載がありました。

「黒蝴蝶」商標事件について

明治の初期は特許や商標に関する意識が低かったようですが、明治後期にもなると業界紙上での商標侵害の告発文をいくつも見かけるようになります。明治43年頃、「黒蝴蝶」の名称で二つの店から広告が出ていました。

黒蝴蝶広告35-1黒蝴蝶広告35-2

その後、大正2年に黒蝴蝶の商標をめぐる裁判の結果が業界紙に掲載されました。

黒蝴蝶の商標をめぐる裁判の結果

結局宅間末広堂側が勝訴し、販売を再開しましたが、相手方も製品名を「るりかつら」と変え、販売を続けたようです。

るりかつら広告

黒蝴蝶「煉製」について

黒蝴蝶の液体、粉末剤型と並んで、大正2年頃から「煉製」が登場しています。これは今までになかったもので、具体的な瓶などは見つかっていません。これはおそらく、液状~糊状になった黒色の着色料ではないかと思います。

当時の類似品として「くるみ煉」という液状の鬢付け油のようなものの広告があります。

くるみ煉広告

江戸から明治にかけて「黒香油」という黒色鬢付け油がありましたが、それと同様なものだと思います。

その後主な白髪染メーカーは昭和30年代に、新たな粉末一剤式の製品を発売します。

     山発   ・・・「パオン」  別の機会に解説予定

     朋友商会 ・・・「ビゲン」  別の機会に解説予定

     宅間末広堂・・・「黒胡蝶」

黒蝴蝶38

     山吉商店 ・・・「キミス」

キミス39

<解説> 黒蝴蝶のガラス瓶は、君が代と比べると大変種類が少ない。特に戦後の資材不足のためか、るり羽の無印瓶も使用した時期もあるようです。ただ、その割には製品の種類が多いので、どのように使い分けていたか不明な点が多くみられ、今後の調査が必要です。黒蝴蝶はその後粉末一剤式の製品を出すも、浅田飴の堀内伊太郎商店に吸収されました。現在販売されていないようです。

 画像出典:「工房ふうの日々」2011,1、11

     「アルビレオの観測所」2012,5,31

 

(3)初から壽

発売年:明治40年頃

発売元:日の出商会(製造者:長尾徳蔵)

製品形態:液体一剤式、粉末一剤式

初から壽40初から壽41

ガラス瓶:染料瓶の一種類 写真42

初から壽42

・粉末一剤式について

初から壽は発売当初「液体一剤式」でしたが、すぐ改良品が発売されました。それが「粉末一剤式」です。これは現在も市販されている「パオン」や「ビゲン」とは異なる組成の、粉末一剤式です。「液体一剤式」は染料、糊料を水に溶かし、粘度をもたせたものですが、徐々に粘度が下がり、使用時に垂れるということが起こります。そこで染料・糊料を瓶に詰め、使用時水に溶かして使用する方法を考えました。ただ、「液体二剤式」製品がすぐ登場したため、この「粉末一剤式」と過酸化水素を組み合わせた、「粉末二剤式」へと姿を変えました。

その後、染料、糊料を個別に包装し、過酸化水素と組み合わせた「粉末三剤式」が登場し、コストが高い「粉末二剤式」は廃れていきました。

そうした歴史の最初の製品として、この「初から壽」は貴重な存在です。

・「初から壽」と「初がら壽」について

君が代のところでも取り上げましたが、初から壽にも同様の問題があったようです。明治41年の広告では「初がら壽」、明治42年には「初から壽」と変更されています。写真43

この場合、当初液体一剤式製品を「初がら壽」で登録していたが、粉末一剤式に変更したため、「初から壽」と変更申請したのではないかと考えます。

<解説>初から壽は関西の会社で、千代ぬれ羽に次いで古い製品のようです。ただ、実際に発見されているのは瓶一種類だけで、詳しい内容はほとんどわかっていません。こちらも、もっと調査が必要と思います。

(4)クロカミ

発売年:大正末期から昭和42年まで

発売元:製造日本染毛研究所、販売丹平商会

製品形態:粉末一剤式(新)

クロカミ44

ガラス瓶:褐色丸薬瓶一種類 写真45

クロカミ45

クロカミの変遷

大正末期、徳島県富松武助商店より発売

昭和11年から、製造:日本染毛研究所、販売:丹平商会でクロカミの広告が登場する。

クロカミ広告

昭和27年から河野薬品より販売される。

昭和42年で販売終了。(河野薬品HPより

 

<解説>クロカミは販売終了年が分かる珍しい製品です。(ちなみに、元禄は平成5年生産終了)

最近オークションでまとまって出品されていましたが、いずれも丹平商会の製品です。

「クロカミの変遷」で示したように、クロカミには三つの会社が関係しているようです。

富松武助商店、丹平商会、河野薬品とこれらの関係を示す資料は見つかっていませんが、二つの手がかりがあります。

・富松製薬(富松武助商店を改称)が昭和22年当時、クロカミを製造していたらしい。

昭和22年の染毛剤製造者団体名簿に「クロカミ(富松製薬)」との記述があります。

・丹平商会発売のクロカミパッケージの意匠について。写真47

クロカミ47

小箱正面に「富」の文字が見えます。偶然なのか、それとも富松製薬を表すものなのか不明ではありますが。

これらを総合すると、昭和11年ごろまで富松製薬が製造販売し、その後丹平商会が販売を担当し、更に、昭和27年からは河野薬品が製造販売を行ったのではないかと思います。

富松、河野薬品の製品が見つかれば何かわかるかと思います。

画像出典:「ジリジリ」2012.5.3

(5)ぬれつばめ

発売年:昭和12年ごろ(広告より)

製造/発売:自然染毛薬研究所⇒小林薬品/小林大薬房

製品形態:チューブ二剤式、粉末三剤式の二種類 

ガラス瓶:丸瓶、変形丸瓶と角瓶の三種類 写真48-1、48-2,48-3,48-4

ぬれつばめ48-1ぬれつばめ48-2ぬれつばめ48-3ぬれつばめ48-4

<解説>ぬれつばめの特徴は、そのガラス瓶の独特な美しさであり、「日本のレトロ瓶」(平成ボトル倶楽部)にも収載されています。そのガラス瓶はチューブ専用で、広告より大と小がありました。もう一種類は粉末三剤式の丸瓶と角瓶の二種類です。

「ぬれつばめ」は粉末、チューブともに大と小の二種類があったようで、粉末が丸瓶の大・小か角瓶の大・小であったかどうかは不明です。

広告では専売特許とありますが、昭和9年出願の「煉染毛料主剤の製造法」(今津繁二)ではないかと思われます。

<コラム> チューブ入白毛染について

テート(旭薬品⇒中北商店)、わかば(佐藤儀一商店)など、全国には例のないチューブ入白毛染が名古屋を中心に発売されていました。

テート広告わかば広告ぬれつばめ広告

特許公報を調べてみると、昭和9年2月20日に「今津繁二」が、3月20日に「テート、伊藤綱吉」が申請しています。ともに名古屋の京町に店を持っていたようです。現在、ヘアカラーはクリームタイプが主流ですが、昭和初期のチューブ入はちょっと違っていたようで、染料水溶液に糊料を多く加え、のり状にしたものをチューブに入れていたようです。何故こうしたチューブ製品が競って名古屋で登場した点については、残念ながら資料を持ち合わせていませんが、さらに調べてみたいと考えます。

 

画像出典:「川原の一本松」2011.7.18

                                               2012.1.21

(6)八千代

発売年:昭和3年~昭和23年

発売元:株式会社 大正製薬所(現大正製薬)

製品形態:粉末三剤式

ガラス瓶:円筒瓶と丸瓶の二種類

八千代50

<解説>白髪染はその組成が単純なため、製品化することは簡単だったようです。その為、個人薬局から医薬品メーカーまで製品化していました。この「八千代」は医薬品メーカーの製品ですが、染料を含む円筒瓶があることから、この製品は昭和20年前後の製品化と思われます。

画像出典:「川原の一本松」2013.4.15

(7)山川

発売年:不明(この製品は昭和18~19年)

発売元:山川製薬株式会社(昭和6年設立)

    昭和18年に日本火薬製造株式会社に吸収合併

    昭和20年日本化薬株式会社に改称(現日本化薬)

製品形態:粉末三剤式

ガラス瓶:とっくり型丸瓶  写真51-1、51-2

山川51-1山川51-2

<解説>この製品も「八千代」と同じ、医薬品メーカーの製品です。製品自体は一般的な粉末三剤式の製品ですが、特長的なのはとっくり型の過酸化水素瓶です。このタイプのガラス瓶はあまり見つかっておらず貴重ですが、過酸化水素を入れる瓶としては不十分なものであったようです。とっくり型瓶の口部、胴を肉厚にしたものが、るり羽タイプのガラス瓶に発展したのではと思われます。

画像出典:川原の一本松」 2010.12.26

(8)伊達姿

発売年:不明(おそらく戦後の製品)

発売元:伊達姿製薬株式会社    ⇒    山内化成株式会社

    東京都新宿区柏木四丁目       東京都北区上中里町

剤 型:粉末三剤式(染料、糊料はガラス管入り)

ガラス瓶:丸瓶

伊達姿52-1伊達姿52-2

<解説>「伊達姿」については資料・情報がないので、パッケージから推察すると

 ・物品税表記・・・昭和15年~25年

 ・新宿区表記・・・昭和22年~

 ・医薬用外劇物表記・・・昭和22年~

となるので、この製品は昭和22年~25年と思われます。

ガラス管入りの染料、糊料が使われているのは、まだ物不足が継続していたのでしょうか。

 <参考資料>・「日本のレトロ瓶」  平成ボトル倶楽部

      ・「五十五年のあゆみ」(ホーユー社史)

あとがき

君が代瓶の魅力は角瓶の手造り感にあるのでしょうか。気泡だけでなく、歪んだものまでそれぞれ魅力的ではあります。当初は手作業の多品種少量生産であったと想像されます。

瓶詰も手作業のため、粘りのある液体式を入れやすくするため、甲瓶の口径が大きくしてあるのでは、といった想像も浮かびます。

他の華やかな化粧瓶や薬瓶と違い、地味な白髪染瓶ですが、時代とともに歩んだ足跡を今後もたどって記録を残していきたいと思います。(ドクターK)

2 Replies to “第10回 特別編 白髪染・ガラス瓶の歴史(その2)”

  1. 東京で遺跡の発掘調査をしたところ「黒蝴蝶」と陽刻された高さ6.2cmほどの小型のガラス瓶が出土しました。側面には「MADE IN JAPAN」と陽刻されています。いつ頃のもので、内容物はどのようなものなのか、お分かりになるでしょうか。画像をお送りすることができます。宜しくお取り計らいください。

  2. 五十嵐さん、返信が大変遅くなり申し訳ありません。黒蝴蝶についてどの程度お応えできるかわかりませんが、画像をお送りいただければ回答させていただきますので、よろしくお願いします。

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