1.はじめに
今回は戦後の白髪染で、最もよく知られている「パオン」と「ビゲン」を取り上げます。山発とホーユー(当時は朋友商会)の両社は、「るり羽」と「元禄」の頃からしのぎを削っていました。パオンとビゲンの時代になってから、どのような展開を見せたか、両社の資料を基に見ていきたいと思います。
その前に、まず「粉末一剤式白髪染の歴史」について解説します。
「パオン」や「ビゲン」より20~30年も前に粉末一剤式の製品が既に登場していたことを、ここでしっかり説明したいと思います。人々の記憶から忘れ去られた製品でも、ガラス瓶や製品の形で発見されたときに、その歴史を少しでも明らかにするのがこのブログの責務である考えています。
ただ、パオンとビゲンについては詳しくないので、下記のブログを参考にさせていただきました。更に質問にもお答えいただきましたことにお礼申し上げます。
参考資料:山発社内報
ホーユー社史「55年のあゆみ」
2.粉末一剤式白髪染の歴史
第9回でも解説したように、白髪染の歴史を剤型面からみると以下のような流れとなります。
<明治時代>・・・・・・・・<大正時代>・・・・・・・・<昭和時代>
液体一剤式
粉末一剤式①
液体二剤式
粉末二剤式
粉末三剤式
粉末一剤式②
粉末一剤式③
粉末一剤式は次の3つの期間に分類できます。
①第一期
酸化剤を含まない粉末一剤式(明治末~大正初め)
国内初の酸化染料を使用した白髪染「千代ぬれ羽」が登場したのち、この液体式の欠点を克服するため、粉末一剤式が登場しました。それは、使用時に髪から液が垂れ落ちる問題の改良のためでした。
その代表的な製品が「改良初から壽」でした。しかしながら、すぐに液体二剤式の「ナイス」が発売されたため、市場にはこのタイプの製品はあまり登場しなかったようです。
②第二期
酸化剤を含む粉末一剤式(大正末~昭和20年代)
長らく酸化剤に、液体の過酸化水素水を使用していましたが、大正時代には国内でも粉末の酸化剤(過ホウ酸塩)が一般に漂白剤として使われるようになると、白髪染の酸化剤への応用が試みられたようです。
大正の終わりから昭和10年代にかけて多くの製品が登場したようです。代表的なものに「クロカミ」があります。しかしながら、この当時の製品は品質に問題がありました。数年で黒く固まってしまう現象で、その原因は酸化剤にあったようです。それを改良したのが岩城道也の特許でした。
ただその中で安定な製品であった「納言」は、昭和40年頃まで特許権者との間で係争が続いたようです。
③第三期
酸化剤を安定的に含む粉末一剤式(昭和31年~)
粉末製品の安定性問題を解決したのが岩城道也の特許です。その内容は「パラミンの塩と結晶水を2分子以下にした過酸化物を配合した」ことを特長とするもので、これにより製品の保存性が向上しました。
そして、この特許を採用したのが山発の「パオン」です。一方、ホーユーは特許中の「パラミンの塩(えん)」ではなく、「パラミンの生(フリー)」を使用することで、この特許に抵触することを避けたと山発社内報で説明されています。この違いがその後の粉末製品の開発に大きな影響を及ぼします。
・両社の資料から見た「パオン」「ビゲン」の評価について
両社の社内報、社史には開発の経緯、意図、更には自他社の評価も書かれているので抜粋します。
「パオン」、「ビゲン」の比較表 | ||
パオン | ビゲン | |
開発意図、経緯 | ・るり羽アンケートから一剤式が要望されていた。 | ・消費者のより簡便なものを求める、インスタント志向の高まりから |
・当時、一剤式の「納言」が人気を集めていた | ||
岩城特許について | ・特許とほぼ同処方の「笑髪」「納言」は発売20年の実績があった。 | ・自社技術の成果として、酸化剤の粉末化に関して、特殊加工法を確立、更に新たな合成増粘剤を配合。 |
・この特許は理想に近い。 | ||
製品の評価について | ・ビゲンA(当初はビゲンホーユー)はパオンの特許に抵触しないよう、染料フリーを使用。 | ・ビゲンBの自然色のアイデアは、白毛染の大革命をもたらしたもので、自然色の白髪染は日本最初のもの。 |
・ビゲンB(黒褐色)に限り、ホーユーが山発を先行した。(注) | ||
・ホーユーは山発の新製品発売後、数年遅れて同種の商品を発売しています。 |
どうやら、これを見る限り山発の方が客観的に見ていることがうかがわれます。
(注)パオン2番とビゲンB(黒褐色)について
上記の新発売年表に記したように、山発はパオンに続いてパオン2番を発売しています。
この製品はそのまま染めれば「茶褐色」に、パオンと混ぜて「色調・調節用」に使うこともできます。
つまり、一般向けには「パオン」と混合して「自分に合った色調を作ることが可能」になり、また美容院向けには、髪をブリーチした後、薄めた2番で染めて「茶褐色」をだすヘアカラーとしての考え方を持った、アマ・プロ両方向の製品を目指したようです。(当時ヘレンカーチスのヘアダイが、すでに美容院向けに発売されていました)
こうした多目的で画期的商品でしたが、市場ではあまり理解されなかったようで、直後に発売されたホーユーのビゲンB(黒褐色)は、混ぜることなく黒褐色となる簡単さで市場に受け入れられたようです。
美容界ではヘアカラー(当時はヘヤダイと呼んでいた)も始まり、真っ黒な髪色も自然な黒色へと変化していくのは当然の成り行きであったと思われます。
<解説>一商店から始まった白髪染は、戦後、貿易会社から成長した「山発」と、こつこつ独自の道を歩んできた「朋友商会」が市場の主役となりました。そして山発の三代目「山本清雄」と朋友商会二代目「水野金平」の二人が、白髪染、更には日本のヘアカラーをけん引していきます。その様子は、昭和編後期で紹介していきます。
3.製品別解説
(1)パオン
発売年:昭和31年3月
発売元:山発産業
剤型:粉末一剤式・・
ガラス瓶:平瓶・丸瓶・・
(2)ビゲン
発売年:昭和32年9月
発売元:朋友商会
剤型:粉末一剤式・・
ガラス瓶:平瓶・・
ここではパオンとビゲンを比較しながら解説していきます。
(い)名前の由来
・「パオン(PAON)」は仏語で孔雀。「るり羽」の輸出名が「ピーコック(孔雀)」から採用された。
・「ビゲン」には諸説ありますが、昭和31年に発売された「クローゲン」(黒の元の意味)がこの意味で採用されているので、「ビゲン」(美の元の意味)にはこの意味が順当かと思われます。
(ろ)パオンとビゲンの新製品発売年表
「パオン」と「ビゲン」については、その発売時期の詳しい資料があります。ここでそれに基づき列記してみました。
昭和31年3月・・・パオン発売
昭和32年9月・・・ビゲンホーユー発売(のちにビゲンAと改称)
昭和33年3月・・・パオン2番発売
昭和33年9月・・・ビゲンビーB発売(のちにビゲンBと改称)
昭和34年?・・・・ビゲンA,ビゲンB発売(名称変更)
昭和34年8月・・・パオンソフト発売
昭和34年10月・・パオン3番発売
昭和35年4月・・・パオン・デラックス発売(業務用液体製品)
昭和37年5月・・・パオン・ローヤルA,B,C発売(一般用液体製品)
昭和38年7月・・・ハイビゲンA,B,C発売(一般用液体製品)
ビゲンC発売
昭和39年3月・・・パオン栗色発売
(は)パオンとビゲンのガラス瓶比較
・パオンガラス瓶の年代特定について
パオンのガラス瓶は2種類あり、大体以下のように分類されると思います。
丸瓶・・・昭和31年~昭和39年
PAONのエンボスあり。
平瓶・・・昭和40年以降
裏面または側面にPAONのエンボスあり。
・ビゲンガラス瓶の年代特定について
下記のブログに詳しく書かれていますが、瓶底にある社名ロゴから年代が特定できるようです。
旧HOYUロゴ・・・・昭和39年(1964)~昭和49年(1974)
新HOYUロゴ・・・・昭和49年(1974)~
社名ロゴが登場する前、昭和32年~昭和39年の間は下記に示したエンボスが確認できますが、
瓶底には別のマークが見受けられます。これは瓶の製造者マークで、この期間使われたようで、
何社か取引があったようなのでいくつか見受けられるようです。
ビゲンガラス瓶のエンボスは次の通りです。
昭和32年(1957)~昭和34年(1959)・・・「ビゲンホーユー」のエンボス・・
昭和33年(1958)~昭和34年(1959)・・・「ビゲンビー」のエンボス
昭和34年以降は「ビゲン」のエンボス
昭和39年以降、瓶底に「HOYU」の社名ロゴが登場し「ビゲン」のエンボスはなくなったようです。
<解説>9年間の両社の製品発売年表を見ると。いろいろなことが分かります。
・ブランド、商標について
製品名について、山発は当初から「パオン」ブランドで、商標もとっていたようです。
朋友商会は「ビゲンホーユー」「ビゲンビーB」「ビゲンA、B」と何度か製品名を変更の末、「ビゲン」ブランドがやっと固定できたようで、その理由は何であったかについては資料がありません。少なくとも昭和32年9月の段階で「ビゲン」の商標を持っていなかったようです。
また両社はかぶれの少ない、所謂「安全染毛剤」に関しても、山発は「マロン」、ホーユー(当時は朋友商会)は「クローゲン」の名称で同時期に発売しました。これについては別の機会で解説します。
こうした、業界を二分した製品開発競争が、「白髪染からヘアカラーへの移行」を加速したことは確かなようです。こうして江戸時代から続いた「白髪染」の歴史も区切りを迎えたことも確かなようで、パオン、ビゲンがガラス瓶時代の最後となったようです。(その後も液体製品でガラス瓶が使われてはいましたが・・・)
(3)納言(なごん)
発売年:昭和12年(東京小間物化粧品商報より)
昭和13年(粧工連資料より)
発売元:東亜理化学工業所⇒科薬染毛剤研究所・・(新聞広告)
(昭和13年設立)(昭和26年に変更)
剤型:粉末一剤式・・
(戦前)
(戦後)
ガラス瓶:平瓶・・
<解説>「納言」先代が昭和13年頃設立し、二代目が科薬染毛剤研究所として引き継ぎ、平成21年に廃業
されました。昭和13~16年にかけて多量の新聞広告が見られましたが、戦争による中断、戦後の資材不足にパオン、ビゲンの発売の影響を受けたことで衰退しました。
ガラス瓶は戦前のコルク栓からスクリュー、ビゲンに似た平瓶迄揃っています。
(4)黒若(くろわか)
発売年:昭和8年
発売元:甲陽化学・・(新聞広告)
剤型:液体二剤式(非酸化白髪染)・・
ガラス瓶:丸瓶・・
<解説>「黒若」は昭和8年に出願した若園吉雄の特許を基にした製品のようで、その内容は
第一液は硫化カルシウムのような可溶性硫化金属
第二液は硫酸鉄、酢酸鉄や没食子酸からなる液体二剤式で。
こうした「非酸化白髪染」は、一般的な白髪染と比べ、使い方が難しいので、「黒若」も全国で講習会を開催していた様子が分かる、大量の「チラシ」が残されています。
・「非酸化染毛剤」について(日本ヘアカラー工業会HP参照)
通称「オハグロ式白髪染め」で、現在は「クリームタイプ」が売られています。特徴としては、脱色作用がないため、黒または黒に近い色しか染まりません。染毛のメカニズムは、毛髪中で鉄イオンと多価フェノールによって黒色の色素を作り出します。
画像出典:ブログ「川原の一本松」2011.1.31
(5)笑髪(えがみ)
発売年:昭和6年頃(新聞広告)
発売元:合理化学
剤型:粉末一剤式
ガラス瓶:丸瓶
角瓶:
<解説>「笑髪」は「ベナン」(三共)と同じく、大手製薬会社から発売された製品で、主成分は「パラミン」の「ズルファミン酸」誘導体で、パラミンの有毒性の除去を目的とする。
「笑髪」は戦後も販売されていたようですが、やはりパオン、ビゲンと比べ染毛力に劣るため消えていきました。
画像出典:ブログ「川原の一本松」2017.5.12
(6)美富久(みふく)
発売年:不明(昭和10年代?)
発売元:朽木新薬堂(製造)、小林大薬房(発売)
剤型:粉末三剤式
ガラス瓶:丸瓶
<解説>朽木新薬堂は愛媛県宇和島市の薬局で、「美富久」は地方薬局の製品です。東京の日本橋、大阪の道修町、名古屋の京町は現在も薬の問屋街として有名ですが、以前は各地にこうした薬の町が存在しました。「ラーベー」「ソマル」の富山は知られていますが、ほかにもまだ知られていない地元の白髪染があると思います。
(7)からす姫
発売年:不明
発売元:不明
剤型:液体二剤式または粉末二剤式・・
ガラス瓶:着色平瓶・・
<解説>「からす姫」は第一回で九州の民話で取り上げたお話ですが、実物を見たことがないので、発売年や発売元などの情報を持ち合わせていません。
画像出典:ブログ「川原の一本松」2015.5.8
4.ガラス瓶のみ判明している製品解説
(1)ソマル
発売年:大正時代?(昭和5年新聞広告)
発売元:ソマル商会
剤型:液体二剤式または粉末二剤式
ガラス瓶:平瓶・・
<解説>「ラーベー」とともに紹介されている「ソマル」ですが、詳しいことは不明です。
(2)わかば
発売年:昭和8年頃・・(新聞広告)
発売元:佐藤義一商店
剤型:チューブ式
ガラス瓶:丸瓶・・
<解説>「わかば」は「テート」や「ぬれつばめ」と同じ名古屋で作られた、チューブ式の白髪染です。
画像出典:ブログ「川原の一本松」2017.6.3
(3)京人形
発売年:不明
発売元:不明
剤型:粉末三剤式
ガラス瓶:丸瓶・・
<解説>瓶のみですが戦前の製品ではないかと推理しています。
画像出典:ブログ「川原の一本松」2013.7.9
(4)スミレ
発売年:昭和10年代?(雑誌広告)
発売元:美の素商会
剤型:粉末三剤式
ガラス瓶:丸瓶・・
<解説>オークションに登場した丸瓶ですが、調べたところ雑誌「主婦之友」に広告が掲載されていました。あいにく雑誌の年代が控えておらず、機会があれば確認します。
(5)いろは
発売年:不明
発売元:不明
剤型:粉末三剤式
ガラス瓶:丸瓶・・
<解説>詳しい情報がありませんが、瓶の形状から「るり羽」の系統かと思われます。昭和22年当時の日本染毛剤工業会の東部会員で「いろは」(小倉純一)の名前がありました。
画像出典:庄司コレクション
<連絡事項>
ガラス瓶「秀菊」について
2020,8,25の「あんてぃかーゆ便り」に「秀菊」の名前で、髪染めとして紹介されていました。白髪染でこの名前には全く心当たりがありませんが、ご存じの方がお見えでしたら教えてください。
<まとめ>4回にわたり白髪染の製品、ガラス瓶について紹介してきましたが、当初の目的の年代特定については不明なものも多く、不十分であった事をお詫びします。
ガラス瓶についても、粉末一剤式を最後にその魅力はブラスチック化でなくなりました。
ただ白髪染も剤型の変遷だけでなく、法律、理美容業界、技術変化など大正時代からの動きを伝えていく必要がありますので、この後の本編「白髪染の歴史」についてもご覧ください。
なお、次回はまだ準備が整っていませんので、
特別編「白髪染・販促物の歴史」をお送りします。
白髪染の調査・研究をしています。ガラス瓶の発掘はできませんが、古い資料の発掘には自信があります。
住まい:愛知県 性別:男 年齢:68歳 趣味:家庭菜園