第5回 明治時代・前期の白髪染(その1)

1.はじめに

今回から明治時代を取り上げますが、酸化染毛剤(酸化染料を使用)の登場以前を前期とし、以後を後期とします。ここでは登場時期を明治38年としています。その頃、国内ではどのような白髪染が存在したか、現物・資料を交え明らかにしていきます。

2.白髪染に影響を与えた出来事について

(1)断髪令

・断髪令とは

「散髪制服略服脱刀共為勝手事但礼服ノ節ハ帯刀可致事」太政官布告三九九号

江戸時代からの髪型が西欧化に合わないとのことで、まげから散髪へと変えていきました。

勿論、すぐに全員が断髪というわけでもなく、東京でも明治20年ごろまで、地方はもう少し長引いたようです。

・髪型の変化

散切り以外にも様々な髪型が登場しました。

髪型の変化

・白髪染への影響

以前のまげに比べ、白髪が目立つ髪型なので、白髪染めの需要は高まったと推測されます。また、従来の髪結いから転職する人もいたであろうし、理髪業が隆盛となった事は容易に想像されます。

(2)お歯黒禁止令

・お歯黒禁止令とは

お歯黒道具一式お歯黒道具一式

まげと同様に、江戸以前より長らく続いた女性のお歯黒も西洋から見ると異様な習俗に映るようで、早々とやめる人が続いたようです。

 

・お歯黒の変遷

べんりおはぐろ1  

べんりおはぐろ2 べんりおはぐろ

しかしながら長年続いた習俗ですが、一大産業として成り立っていたものが、一夜で崩壊の憂き目にあったため、その別用途の開拓が求められました。五倍子自体はタンニン酸を含みますので、インク原料、そして鉄媒染の白髪染原料などに広がっていったようです。島村の「香登お歯黒」には「明治35年頃までは、老人の白髪染にはお歯黒が唯一の染料であった」と書かれています。(調べたところ、鉄媒染の一つとしてお歯黒(鉄漿)が使われていたようです。)明治30年頃の東京小間物粧報には硫酸鉄を使った「べんりお歯黒」が登場し、一時ブームとなったようですが、結局昭和20年代にはほぼ廃れたようです。

・白髪染への影響

「香登お歯黒」には「明治35年以降は新しい白髪染が製剤されたため、お歯黒は白髪染としての使命は失われた」と書かれています。

しかしながら、その酸化染毛剤による安全性の問題に対抗するものとして、再びこのお歯黒にスポットライトが当たるのは、昭和に入ってからで、紆余曲折を経て現在も製品として残っていることは大変興味深いと思います。

(3)薬事行政

明治に入って、西洋に倣って医薬品などの規制の考え方などが作られ、それに沿っていろいろな規制、規則が発表されています。白髪染にかかわるものとして下に挙げてみました。

主な法規制

1886年(明治19) 日本薬局方制定

1889年(明治22) 薬品営業並薬品取扱規則(薬律)

                                           薬剤師、薬局、薬種商が確立

1900年(明治33) 有害性着色料取扱規則

                                                    鉛などの金属が使用禁止

1912年(明治45) 毒劇物営業取締規則(改正)

                                                    酸化染毛剤の扱いが決まる

特に、明治45年の毒劇物規制の改正は白髪染めにとって大きな問題への回答となりました。その内容については、明治時代後期で詳しく解説します。

<コラム1> 有害性着色料取扱規則から 取締規則

 

明治36年、広島県から内務省に「巷で販売されている「白髪染粉」は炭酸鉛を含有していますが、これは取締規則第四条に規定している化粧品に該当しますか」との問いに、「白髪染粉」はこの化粧品に含まれる、つまり化粧品に鉛は使用してはいけない、との回答でした。この当時、炭酸鉛が白髪染粉に使われていたことを示す事例です。

ちなみに、当時広く使われていた「白粉」は炭酸鉛を使った「鉛白粉」でした。当然この第四条の規定により鉛白粉にも禁止となるかと思ったら、 第十一条に「鉛白ハ当分ノ内第四条ノ規定ニ拘ハラス化粧品トシテ之ヲ使用スルコトヲ得」との特別規定で使えることとしています。結局、鉛白が禁止になるのは昭和10年、この規定から35年後のことでした。

 

3.文献調査から

 文献一覧

    明治メイジ時代ジダイ前期ゼンキ白髪シラガソメ文献ブンケン  
発行年ハッコウネン 文献ブンケンメイ 項目コウモク 使用シヨウ原料ゲンリョウ
明治メイジネン シャミツ階梯カイテイ 白髪シラガルノホウ 硝酸銀ショウサンギンバイ硫酸リュウサンテツ
明治メイジ19ネン 製法セイホウ新書シンショ 毛髪モウハツクスリ白髪シラガソメともふ) スミ五倍ゴバイテツコナ
明治メイジ19ネン 実地ジッチ製法セイホウ全書ゼンショ 西洋セイヨウ白髪シラガソメ製造セイゾウするホウ スミ
明治メイジ20ネン 新選シンセン速成ソクセイ製法セイホウ秘訣ヒケツ 白髪シラガソメクスリ製法セイホウダイ スミ五倍ゴバイテツコナ
明治メイジ20ネン 農業ノウギョウ雑誌ザッシ 白髪シラガむるリョウホウ スミ
明治メイジ21ネン 実地ジッチ経験ケイケンヒャクコウ自在ジザイ 白髪シラガホウ ギンテツナマリシオ
明治メイジ21ネン 人間ニンゲン生涯ショウガイコレタカラ 白髪シラガめるホウ スミ
明治メイジ21ネン 人間ニンゲン必携ヒッケイマンホウ秘術ヒジュツ シロ黒毛クロゲゆるホウ 胡桃クルミ
明治メイジ23ネン 男女ダンジョ必携ヒッケイカタチコレシオリ 白髪シラガ黒色コクショクヘンするホウ 胡麻ゴマ
明治メイジ23ネン 新発明シンハツメイホウ大全タイゼン 白髪シラガソメホウ スミ
明治メイジ23ネン 東京トウキョウ化学カガクカイ 白髪シラガソメエキ 硫化リュウカナマリ
明治メイジ24ネン 理化リカ奇術キジュツ大全タイゼン 白髪シラガてはげぬホウ 硝酸銀ショウサンギン
明治メイジ24ネン 実地ジッチ製造セイゾウ化学カガク ソメカミザイ 硝酸銀ショウサンギン、ビスマス(ソウナマリ
明治メイジ24ネン 理化学的リカガクテキシンケン奇術キジュツタカラカガミ カミアカきをクロくしツヤホウ キリ
明治メイジ24ネン 化粧ケショウホウ 男女ダンジョ 白髪シラガソメ 硝酸銀ショウサンギンナマリシオ
明治メイジ25ネン 審美シンビ健全ケンゼンズミナマビョウシン奇術キジュツ 白髪シラガソメホウ 水銀スイギン
明治メイジ25ネン 化学的カガクテキ医学的イガクテキ応用オウヨウ東洋トウヨウコレ秘術ヒジュツ 白髪シラガソメシンホウ ナマリドウテツシオスミ
明治メイジ25ネン 美人ビジンカガミ 赤毛アカゲクロくするホウ キリ胡麻ゴマ
明治メイジ27ネン 奇妙キミョウ秘伝ヒデン しらがをくろくするでん ナマリドウシオ
明治メイジ28ネン 売薬バイヤク製剤セイザイ備考ビコウ 白髪シラガソメ 五倍ゴバイテツナマリシオ
明治メイジ29ネン 理化学的リカガクテキ美術ビジュツ工芸コウゲイ新書シンショ 白髪シラガホウ 硝酸銀ショウサンギン
明治メイジ30ネン 化粧品ケショウヒン製造セイゾウホウ カミソメザイ調合チョウゴウホウ 五倍ゴバイテツシオ
明治メイジ30ネン 日本ニホンオンナレイシキ大全タイゼン カミそめぐすり 五倍ゴバイドウテツシオ胡桃クルミクリカワ
明治メイジ31ネン 万民バンミン必携ヒッケイ百科ヒャッカ秘法ヒホウ全書ゼンショ アカカミクロクスルホウ 胡麻ゴマ
明治メイジ31ネン 国民コクミンタカラテン奇術キジュツホウダイカン 白髪シラガてはげぬホウ 硝酸銀ショウサンギン
明治メイジ35ネン 香粧品コウショウヒン製造法セイゾウホウ 染毛センモウザイ 五倍ゴバイテツナマリドウ、マンガンシオ硝酸銀ショウサンギン
明治メイジ36ネン 衛生エイセイ顧問コモン 黒色コクショク染色センショクリョウ褐色カッショク染色センショクリョウ 硝酸銀ショウサンギン
明治メイジ36ネン 家庭カテイ衛生エイセイ講話コウワ 白髪シラガショウ 硝酸銀ショウサンギン
明治メイジ39ネン 通俗ツウゾク治療法チリョウホウ 白髪シラガショウ赤髪アカガミ 硝酸銀ショウサンギン
明治メイジ39ネン 皮膚ヒフショウヘン実用ジツヨウ問答モンドウ 白髪シラガナオホウはないでせうか 硝酸銀ショウサンギン

明治時代前期の様子を、白髪染に関する文献から見てみました。資料は一般啓蒙書から技術書、専門書まで様々なものがありました。

・初期のころは墨、植物が目につきます。

・この期間は硝酸銀、鉛などの金属が多かったことがわかります。

 

・硝酸銀を含有する髪染剤

  硝酸銀   これらをよくすり合わせて、徐々にアンモニア水を加え瓶に密封し保存

  硝酸銅

  薔薇水

 

・鉛を含有する髪染剤

  密陀僧(酸化鉛)  この混合物を良く振とうし、上部の上澄みを捨      て、沈殿物を使用する

  炭酸鉛

  水酸化蒼鉛

  新鮮消石灰

  蒸留水

・鉛及び銀の化合物を含有せざる髪染剤

タンニン酸を含むものとして、矢車(やしゃ)、五倍子、胡桃、栗皮、柏皮などの煮出し汁

鉄化合物としては、緑礬(りょくばん)液、木酢酸鉄、鉄漿など。希薄な溶液を用いて何回も繰り返すこと。

 

4.理容の歴史

明治に入って断髪令により、髪型が一変し、当然それに対応して理髪業が盛んになります。

白髪染に関する資料は少ないですが、関連する情報を紹介します。

 

明治元年  横浜で斬髪店開業

明治2年  木村庄太郎 銀座で理髪店開業

明治4年    断髪令

明治6年    明治天皇断髪、皇后お歯黒をやめる

       理髪店が急激に増える

明治22年  東京市内、ほとんど散髪となる

明治30年  横浜オリエンタルホテル理髪部に婦人部併設

明治32年  福井市の理髪店で白髪染大流行

白髪染め大流行新聞広告

「理髪業庄半事嶋田五半方に手は数月前より白毛、赤毛の早染をなす由なるが直段(ねだん)も余り高からず六十日間は請合とのこと…近頃非常に大流行・・・」

明治34年  理髪営業取締規則制定

明治38年  遠藤波津子、理容間(美容院)開設

明治39年  大日本美髪会設立   理髪学校開設相次ぐ

<コラム2> 大日本美髪会と雑誌「美髪」について

・大日本美髪会とは、太田重之助が明治39年に創設した、理容の近代化を目指した集まりで、当時の理容業界は昔ながらの旧態然とした体制であったが、数々の改革で業界の近代化、発展に貢献しました。

・雑誌「美髪」は会の機関誌で、会員の交流だけでなく、技術指導の内容もあったようで、昭和11年の小冊子には、現在も行われているような、白髪染の「ブロッキング」手法の解説が、80年以上まえに掲載されています。

美髪美髪2

 

<コラム3> 女性はどこで染めていた?

次のような新聞記事について伝えています。(婦人衛生雑誌、大正6年)

「去る十五日、神田下宿業某館の雇女(二十歳)は去る八日、同町内の理髪店に赴き、白髪を染めてくれと頼み・・・(中略)同店の雇人が使用量を誤り、東部の炎症、脱毛を起こした。」とある。また、当時の理髪店では「即席白髪染」として「アルカリと鉛」を使用しており、この強いある課による炎症が白髪染事故の原因とも述べている。

大正時代になっても金属染毛剤が使われていた記録です。

 

<資料>

・日本の理髪風俗  坂口茂樹  雄山閣  昭和47年

・香登お歯黒  島村 岦  香登お歯黒研究会  平成元年

・「白髪染の大流行」  若越新聞  明治32年9月2日

・東京小間物粧報  明治30年12月

・雑誌「美髪」  昭和11年別冊

・婦人衛生雑誌(319)  大正6年(1917)  白髪染の危険性

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