第3回 江戸時代の白髪染(その1)

1.一枚の広告から・・・国内初の白髪染?

斎藤実盛が髪を染めてから500年経過した江戸時代初期の元禄年間(1688~1704)に国内初の白髪染が登場したようです。

下の写真は明治41年(1908)業界紙に掲載された「川上の志らが染」ですが、その文中に「元禄年間より志らが染の開祖として・・・」との記述が見つかりました。

広告「川上の志らが染」

今のところ、これ以外に江戸時代の白髪染の始まりについて言及した資料がないので、これを有力な候補としておきたいと思います。

発売元は日本橋 大坂屋 川上藤兵衛となっていますので、この人物について調べたところ、以下の2件の資料が見つかりました。

〇「名方不老白毛染め粉」引札

埼玉県立公文書館に所蔵されている「引札」(チラシ)ですが、残念ながら現在公開されていません。確認次第公開したいと思います。

〇「志らがそ免ぐすり」について

江戸買物独案内

国会図書館「江戸買物独案内」

上の写真は「江戸買物独案内」(えどかいものひとりあんない)という、文化7年(1824)に発刊された江戸の買い物ガイドブック的なもので、その中に「志らがそ免ぐすり」下の写真の解説がありました。

「志らがそ免ぐすり」チラシ

「・・・黒油(白髪染の一種)を用いて、一旦隠すことはできるが、一夜に消え失せる。ところが私共の薬は代々家伝の名方にていかなる白髪赤毛にても、ひとたび染まれば再び色変わらず、地毛より黒くなる・・・」とある。どうやらこの記述から、当時二種類の白髪染が存在していたようです。

2.当時の店舗(薬種商、小間物商)

二種類の白髪染について解説する前に、白髪染はどこで売られていたのか、見てみましょう。

江戸時代のガイドブック(飲食から買い物まで店舗を網羅)として二種類知られています。

その中から、以下の三店の広告が見つかりました。

江戸買物独案内(江戸) 文化7年(1824)刊行

・松下堂大文字屋弥七  萬小間物 志らがそめ

広告「萬小間物 志らが染」

商人買物独案内(大阪、京都)文政3年(1820)刊行

・井筒屋八兵衛 つけてはげぬ志らがの薬
広告「つけてはげぬ志らがの薬」     
・富士屋市兵衛 阿蘭陀伝来 志らが染薬 

広告「阿蘭陀伝来 志らが染薬」

 

3.二種類の白髪染

これまで見てきたように、江戸時代には二種類の白髪染が二種類の店で販売されていたようです。

(1)小間物店の場合

TV画面 「白髪染 烏羽玉」

上の写真はテレビ時代劇の小間物店の様子ですが、壁に「白髪染 烏羽玉」と書かれています。また、広島県立文書館の資料によれば、小間物商について「小間物とは、一般的には女性向けの装粧品(紅、白粉など)を指すが、食料品や家庭用品も含まれる」と書かれており、嘉永七年(1854)の仕入帳には「しらが染」の記述があります。

小間物店では「白髪染」を扱っていたようです。

(2)薬店の場合

写真「つけてはげぬ志らがの薬」「阿蘭陀伝来 志らが染薬」で見たように、薬店、薬種商では「白髪染」と区別するため、敢えて「薬」を名乗って販売しています。恐らく「白髪染」との効能・効果を差別化するためでしょうか。

ただ、「白髪染」の方は、広告などで「しらがそめくすり」などと名乗っているものもあり、明確な区分ではなかったとの考えもあります。

例えば、化政期落語本集に収載されている「新作 太鼓之林」の中で「美艶仙女香 御かほのくすり 一包 四十八銅、美玄香黒油 御しらがぞめくすり 一包 四十八銅・・・」と書かれていました。

 

4.江戸時代の広告について

この時代の宣伝媒体として看板があげられます。薬をはじめ、様々なものがありますが、白髪染の看板は見当たりませんでした。代わりに「かつら」を2種類紹介します。

かづら

かつら

紙媒体としては「引札」と呼ばれるチラシ類があり、白髪染も数点見つかりました。

下の写真「仙伝無類 志らが染薬」は早稲田大学図書館に所蔵されているものです。上部に髪を染めている様子の絵があり、宣伝文句としては「老若男女志らが赤毛とも一たび染れば一代はげぬこと妙なり」と効能を記しています。

「仙伝無類 志らが染薬」 早稲田大学図書館

発売元は 大阪 石橋正左衛門

早稲田大学図書館「しらが染薬」

また、下の写真は、幕末の阿州(現在の徳島県)敦賀屋からのチラシ「志らがに付て黒うなる薬」には、自分の店の製品がいかに優れているかを書いています。

志らがに付て黒うなる薬

5.緊急情報

最近、ブログ「拾うたんじゃけえ」に「千代ぬれ羽」の製品写真が掲載されました。白髪染の歴史におけるこの製品の重要性については、明治時代後期の時に解説する予定でしたが、ここで報告したいと思います。

千代ぬれ羽 小箱正千代ぬれ羽 小箱裏面千代ぬれ羽 製品瓶

「千代ぬれ羽」とは、明治38年、東京日本橋の服部松栄堂から発売された、液体一剤式(ガラス瓶に染料、水、のり剤が入ったもの)の酸化染毛剤です。

(1)「千代ぬれ羽」は国内初の酸化染毛剤

現在のヘアカラーに於いて、最も重要な染料である「パラフェニレンジアミン」(略称パラミン)を初めて使用した白髪染であり、ヘアカラーのルーツと呼べる製品です。

(2)大量の広告宣伝で白髪染を大衆化した初めての商品

勿論、明治時代に入ってからも白髪染製品は発売されているが、酸化染毛剤ではなく、新聞、雑誌広告はごくわずか見つかるが、「千代ぬれ羽」の広告量は抜きんでており、使い方の簡便さと相まって、一般消費者が受け入れた商品となりました。

(3)使い方の簡便さで広まった

当時は、金属を使ったもので1,2時間、お歯黒式では10時間かかったといわれていますが、「千代ぬれ羽」の場合は8,9時間(今回のものは5,6時間)と説明所に書かれています。

その使い方は、薬液を髪に塗り、すぐ乾くのでそのまま外出、出勤し、帰宅後洗髪すれば染まっています。つまり放置時間がない、現在の整髪剤的な使い方ができることです。

(ただし、現在はこうした使い方はできませんが)

(4)「かぶれ」をもたらしたこと

それまでの白髪染では、強いアルカリによる炎症などが認められていたが、今回初めての酸化染料により、「かぶれ」の問題が発生したことです。その後、法律が改正され、販売方法が変更されましたが、残念ながら根本的な問題は現在も続いています。

資料

・「川上の志らが染」東京小間物化粧品商報 明治41年12月

・「名方不老しらが染粉」引札 新井家文書 埼玉県文書館

・江戸買物独案内 川五郎左衛門 文政7年(1824) 国立国会図書館

・商人買物独案内 清水九文堂  文化3年(1820) 国立国会図書館

・広島県立文書館だより 第27号 平成18年1月

・化政期の落語本集 岩波文庫

「引札 志らが染薬」早稲田大学図書館

・阿州敦賀屋「志らがに付て黒うなる薬」

・ブログ「拾うたんじゃけえ!」より「千代ぬれ羽」 平成31年4月2日

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