1.はじめに
今回紹介する「るり羽」「元禄」は、ナイスの次の時代を代表する粉末三剤式製品です。
数多くのガラス瓶が今でも発掘されていますが、今回まだ知られていない事柄が判明しましたので、いくつか新たな提案を行いたいと思います。更に、その解明には皆さんの協力が欠かせませんので、お気づきの方は是非ともご教授願いたいと思います。
2.製品別解説
(1)るり羽
発売年:明治42年(注1)
発売元:石井成功堂 ⇒ 山発
製品形態:粉末三剤式
ガラス瓶:丸瓶(コルク栓)
丸瓶(スクリュー)
(い)山発の歴史
本家である山本家は、創業者山本亀太郎が明治初めお茶の輸出で財を成す。
初代 山本発次郎(本名:加藤発次郎、山本家に婿養子)(1871~1920)
1888年(明治21)17歳で独立して山発商店を起こす
1894年(明治27)23歳で繊維問屋山発商店とする(注2)
1911年(明治44)山発商店輸出部創設
1914年(大正3)石井成功堂製造販売の「るり羽」をインドに輸出
2代 山本発次郎(本名:戸田清、山本家に婿養子)(1887~1951)
1920年(大正9)二代目発次郎襲名
1931年(昭和6)株式会社山発商店とする
1935年(昭和10)山発貿易株式会社(山発商店輸出部より独立)設立
1937年(昭和12)石井成功堂を併合
1943年(昭和18)山発株式会社と改称
3代 山本清雄(二代目発次郎の二男)(1920~1993)
1946年(昭和21)山発産業株式会社と改称
社長に就任
4代 山本重義
1993年(平成5)社長に就任
(注1)「るり羽」の発売年については、昭和14年5月の広告に記載のある「発売以来、既に30年・・・」の記述を基にしました。後述しますが、この当時の「るり羽」は、ガラス瓶にみられるような剤型とは異なるようです。
(注2)山発産業の創業年に関しては、1888年と1894年の二つの説があります。
1888年説・・・山発の社内報より
1894年説・・・株式会社アングルの創業年より
おそらくこの違いは、山発商店の状態にあるのではと思います。17歳でスタートしていますが、6年間の修行ののち繊維問屋山発商店として経営を始めた年を繊維業の創業年としているのでしょうか。
なお、染毛剤の山発としては昭和10年の山発貿易をスタートとしているようです。
(ろ)「るり羽」の歴史・・・山発発祥の製品ではなかったこと
山発の歴史でみたように、「るり羽」は明治42年、大阪の石井成功堂が発売したもので、時代的に、当初の製品は「ナイス」と同じ液体二剤式であったのではと考えています。
残念ながら、石井成功堂時代の「るり羽」に関する資料はほとんど見つかっていません。
山発は繊維と貿易が主力の会社でしたが、大正3年インドへの白髪染輸出のため、石井成功堂が発売していた「るり羽」を採用した頃から、白髪染との関係が始まります。
大正3年の輸出では、船便が赤道を通過する際に、過酸化水素があふれ出すという事故が起こりました。その後、製品の対応として、るり羽瓶にみられる針金止めの工夫が生まれたとすると、大正3年以降に粉末三剤式が登場したことになります。
こののち、石井成功堂製造、山発商店輸出、国内は大手代理店経由での販売といった体制を続けます。
結局、昭和12年石井成功堂を併合して、山発貿易内での製造販売体制となります。
昭和18年には、るり羽は国内の白髪染全体の3割を占めるようになりました。
戦後、いち早くるり羽を再開し、更に研究開発を拡充して白髪染市場をリードしていきます。
・「るり羽」の海外輸出製品について
るり羽は早くから海外輸出を行っていたことは、大正3年の記録で明らかですが、その際、製品として「露麗髪」(粉末「三剤式」)と「露麗髪粉製」(粉末一剤式)が知られています。
・「るり羽」には「ロゴが異なるガラス瓶」が存在する可能性があること
「るり羽」の歴史を見てもわかるように、昭和12年頃までは石井成功堂が製造していました。
そこで、「るり羽」の新聞広告を調査すると、山発の歴史に合わせるかのように、製造販売として「山発貿易」の名が、昭和12年頃から登場します。
そして、その前後の広告に、二種類の「るり羽」のロゴが登場します。
ひとつはよく見かける、独特な「る」の文字で、パッケージやガラス瓶に使われています。
もう一つは、石井成功堂の説明書にある「るり羽」のロゴで、この独特な「る」とは異なるものです。
そこで昭和12年を境に、異なる「る」の文字のエンボスガラス瓶が存在する可能性があるのではと考えました。
今までに多くの「るり羽」瓶が発掘されてきましたが、その中にこの違う「る」のガラス瓶が存在していたかもしれません。もっと調査が必要です。
(は)<まとめ>
1.明治42年、石井成功堂が発売した「るり羽」の当初の剤型は、液体二剤式であった可能性があります。
2.大正3年以降、現在よく知られている粉末三剤式の「るり羽」となった。
しかしこの時点では、「るり羽」瓶の「る」の文字がよく知られているものとは異なっている可能性があります。
3.昭和12年以降、「るり羽」ガラス瓶のエンボスは現在よく見かける「る」の文字に統一されています。
以上、今回「るり羽」を調べた結論です。よく知られている製品ですが、意外に知らなかったことが見つかり驚いています。今後は実際にガラス瓶を精査し、確認したいと思います。お手元のるり羽瓶を確認いただきたいと思います。
(2)二羽からす、元禄(げんろく)
・二羽からす
発売年:明治42年
発売元:水野甘苦堂⇒水野商店(医薬品と染毛剤で使い分けていたようです)
製品形態: 液体一剤式
ガラス瓶:角瓶(エンボスあり)
角瓶(エンボスなし)
(い)ホーユーの歴史
1905年(明治38)創業者水野増次郎、「水野甘苦堂」設立
1909年(明治44)白髪染「二羽からす」発売
1921年(大正10)志らが染「元禄」発売
1923年(大正12)株式会社朋友商会設立
1957年(昭和32)しらが染「ビゲン」発売
1964年(昭和39)ホーユー株式会社に変更
(ろ)二羽からすの歴史
これに関しては、社史に詳しいので引用します。
明治38年、「千代ぬれ羽」発売
明治42年、これを参考に「二羽からす」を開発し発売
明治43年、新聞記事で白髪染の安全性が報じられ、販売停止
明治45年、法改正により販売再開
大正2年、「二羽からす」商標を登録
(は)「二羽からす」と「二羽がらす」について
君が代の項目で解説しましたが、新発売時には「君か代」「初がら壽」の名で、再発売の際に「君が代」「初から壽」へ名前を変更申請したようです。
ところで、「二羽からす」は大正2年に商標登録されています。
明治42年に発売と社史に記載されていますが、創業者自身が「(二羽からすは)大正2年に発売しました。」とラジオインタビューで答えています。
つまり、明治42年の新発売時は「二羽がらす」で、その後明治45年の再発売時に「二羽からす」と変更したのではと想像されます。ですから、創業者の大正2年発言の意味が理解できます。(「二羽からす」と「二羽がらす」を使い分けていた?)
使用説明書、看板などに「二羽がらす」の痕跡が見つかっています。
途中で製品名を変えることは決して珍しいことではなかったようです。
・元禄(ゲンロク)
発売年:大正10年
製造終了年:平成5年
発売元:水野商店⇒朋友商会
剤型:粉末三剤式
ガラス瓶:とっくり型丸瓶
丸瓶1(コルク栓)
丸瓶2(コルク栓、口部に溝、爪あり)
丸瓶3(スクリュー)
(い)元禄の歴史
来年(2021年)、「元禄」は発売100年になりますが、発売年、製造終了年が詳しく分かっている唯一の製品です。そしてそのガラス瓶はるり羽に匹敵するほど多く見つかっています。
「元禄」ガラス瓶は写真の4種類が見つかっています。年代的な順番としては
・とっくり型
・丸瓶1
・丸瓶2
・丸瓶3
と考えています。
初期の「とっくり型」では、北海道、東北の極寒地での保存性に問題があり、肉厚の丸瓶1に変更。さらに海外輸出のため針金を止める溝、爪をつけた丸瓶2、そして戦後機械瓶として丸瓶3が登場したものとの推定からです。
(ろ)「元禄」のあれこれ
よく知られている「元禄」ですが、実は不明な点が幾つかありますので紹介します。
・古い「元禄」製品が見つからない?
今まで紹介した製品で、最も古いと思われるのが明治30年代の「白毛液」で、「ナイス」や「千代ぬれ羽」「君が代」「黒蝴蝶」「わかやなぎ」など、大正時代のものも見つかっています。
ところが、「元禄や「るり羽」などはその根本的な欠陥から、古い製品が存在しえないと考えています。
粉末三剤式製品は、染料、糊料の粉末の包みと過酸化水素の瓶から構成されます。
粉末二剤式のコストダウンのため、染料、糊料の瓶を紙包みに変えたため、染料が紙を透過し、真っ黒に変色することが起こりました。
この対策として、アルミ箔や錫箔で包むことで解決できましたが、初期の製品では数年でパッケージが真っ黒になったようです。戦前には金属箔が不足し、代わりにガラス管に詰めた製品もありました。ですから、「元禄」「るり羽」などで、昭和初期の製品はおそらく、真っ黒になってしまっているものと思われます。
ところで、製造年が明確な「元禄」製品を紹介します。
このパッケージの製造者住所には「名古屋市栄区・・・」とありますが、名古屋で「栄区」が存在したのは、昭和19年の一年間だけですから、この「元禄」は昭和19年製造のものです。住所から製造年が特定できた珍しい例です。
・「元禄」の名前の由来
年史によれば、「・・・白と黒の市松模様で(大正時代)大流行した元禄模様にあやかって、この名称をつけました。」とあります。
白髪染の製品名は一社一ブランドが多い中で、「二羽からす」「三羽からす」「元禄」と製品ごとに変えているのは珍しいです。(現在は当たり前ですが・・・)
調べてみると、どうやらこの三つの名前に共通点が見られました。
それは明治38年に発売された「千代ぬれ羽」です。創業者はこの製品を参考にしたと年史に記していますが、名前のアイデアも参考にしたような気がします。
例えば、「千代ぬれ羽」の意匠は一羽の「からす」です。
「一羽」の上をいく「二羽、三羽」でしょうか。
また、「千代ぬれ羽」のパッケージは「元禄模様」でした。
勿論「元禄」のパッケージにも使われていますが、どうやら大正時代より前から元禄の名前のアイデアはあったような気がします。
ただ「元禄」侍の意匠は、長らく愛された、他に類似のないものであることは確かです。
・「元禄」の「GENROKU」エンボスについて
最近、ブログ「拾うたんじゃけぇ」(2020.6.25)に、「元禄」瓶が大量に出ていて気付いたのですが、どうやら戦後のガラス瓶では「製品名のローマ字」エンボスが流行っていたような気がしました。他社では、スクリュー栓の「君が代」「るり羽」にもみられます。「元禄」の丸瓶1,2にもあるので、そのあたりの理由はもう少し調べてみたいと思います。
・平仮名「げんろく」瓶について
ずいぶん以前から、いくつかのブログに登場し、その存在は知られていましたがその正体は不明でした。
今回の連載を期に、ホーユーの白髪染開発を調べてみました。
・「二羽からす」明治42年、液体一剤式
・「三羽からす」大正5年、液体二剤式
・「元禄」大正10年、粉末三剤式
他社の歴史を見ると、明治末から大正初めにかけては、粉末二剤式製品がいくつか登場しています。(「君が代」「黒蝴蝶」「わかやなぎ」等)
そこから類推すると、
・「げんろく」大正6~9年、粉末二剤式
「三羽からす」の改良として、「げんろく」粉末二剤式を発売したが、当時発売されていた「るり羽」の優位性(安価な点)を取り入れ、さらに改良して粉末三剤式の「元禄」としたのでは、といった仮説が考えられます。
しかし、なぜ平仮名「げんろく」だったのかといった疑問は残りますが。現在は「げんろく」の乙剤瓶だけですが、甲剤瓶が見つかれば解決の糸口となるかと思います。
なお、「美容文化」のブログには、「ミノワ薬店」の店内に飾られている、平仮名「げんろく」の貴重な看板の写真が掲載されています。
(は)<まとめ>
・「二羽がらす」と「げんろく」の問題
白髪染の歴史を調べる以前は、こうした問題に対して単に文字の誤りでは、といった程度の意識でしたが、実際に関係資料が見つかるにつれ、事実と認めざるを得ないと考えるようになりました。実際に存在する資料に、適切な説明を与えることが、この「白髪染の歴史」の目的の一つでもあります。
こうした問題に適切な説明を与えるような、ガラス瓶の出現を期待します。
<参考資料>
・ブログ「拾うたんじゃけえ!」2020.6.25
・美容業界誌「美容文化」のブログ2010.5.19(高山のミノワ薬店)
(3)ベナン
発売年:昭和12年頃
発売元:三共化学工業所(現三共)
製品形態:粉末二剤式
ガラス瓶:丸瓶
<解説>明治38年に導入された酸化染料(パラミン)は、一般の薬局、薬店まで簡単に扱え、多くの白髪染を生み出した。その為、多くのかぶれ事故も起きました。そこで、大手製薬会社が新たな染料を以て参入したのがこの製品です。
その特長は
・劇物(パラミン)を含まない。主剤はパラアミノジフェニルアミンです。
・自然色に染まる。従来のパラミンでは不自然な黒(真っ黒)そまるが、見た目が自然な仕上がりとなる。こうした自然色といった考えは、昭和30年代の粉末製品にもみられるものです。
今回の写真の製品は戦後のものです。なお最近オークションに戦前の「ベナン」が出品されていましたが、記録するのを忘れておりました。痛恨のミスです。
(4)万両(まんりょう)
発売年:昭和10年以前
発売元:万両本舗
製品形態:粉末三剤式
ガラス瓶:丸瓶
<解説>「万両」は昭和10年頃大阪で発売された、「るり羽」と同タイプの粉末三剤式製品です。
ガラス瓶は口部が特徴的な丸瓶ですが、様々な無印瓶が出てくる場合があります。
おそらく資材不足のためでしょうか。その後、スクリューキャップの製品となっています。
「万両」には戦後だけで4種類のパッケージが見つかっています。
「万」の文字で製品の時代が分かります。戦前は上記掲載広告画像の「万」で、戦後最初は右端の特徴のある「万」の字です。
ですから、丸瓶右側の方が古いタイプと考えられます。(昭和10年の広告と同文字)
なお、「万両」も戦後、粉末一剤式製品を発売していたようです。
画像出典:ブログ「川原の一本松」2012.1.21
(5)ブライト
発売年:大正11年以前(瀬木本雄文献より)
発売元:小林杏雲堂
製品形態:液体二剤式、粉末三剤式
ガラス瓶:平瓶
丸瓶
<解説>古くから有名な「小林杏雲堂」ですから、大正時代から白髪染を出していても不思議ではないです。「ブライト」に関しては、二種類の瓶が見つかっています。
丸瓶は「るり羽」と同じ粉末三剤式で、平瓶は「ナイス」のような液体二剤式と考えています。
ブライトの看板が高山市内のミノワ薬店に掛けられていました。これと同じ構図のガラスケースが骨董商のHPに載っていました。
<参考資料>
画像出典:「あんてぃかーゆ便り」2015.8
(6)烏羽玉(うばたま)
発売年:大正時代
発売元:森川積善堂(静岡県)
製品形態:粉末二剤式
ガラス瓶:円筒型瓶(甲、乙)
<解説>「烏羽玉」の名前を持つ白髪染は3種類知られています。
(ア)矢田猪平が明治中頃発売した「烏羽玉」で、金属染毛剤に分類されます。
(イ)明治末期に大手化粧品会社の丸見屋から発売された「烏羽玉」で、成分は不明です。
そしてこの「烏羽玉」ですが、その使用説明書から粉末二剤式であることが分かりました。
今まで粉末二剤式は、大手の「君が代」「黒胡蝶」「わかやなぎ」が知られていましたが、今回の製品も含まれるとなると、粉末二剤式は液体二剤式よりも広く普及していたようです。
画像出典:ブログ「川原の一本松」2015.5.10
(7)初姿(はつすがた)
発売年:昭和20年代
発売元:桂屋商店(現:桂屋ファイン、みやこ染で有名)
製品形態:粉末二剤式
ガラス瓶:平瓶
<解説>この製品は、液体の過酸化水素ではなく、粉末の酸化剤(過ホウ酸塩)を使うタイプで本来は三井化学が「髪自慢」の名前で発売したが、うまくいかず桂屋に譲渡し、「初姿」として発売されたようです。桂屋当時のホーロー看板が有名です。
画像出典:ブログ「ジリジリ」2014.9.12
(8)ビーナス牛若
発売年:不明
発売元:明暗化学研究所
製品形態:粉末三剤式
ガラス瓶:製品とともに映っているガラス瓶はこの製品のものではないようです。
正しくはこちら。
<解説>今回のように、製品パッケージと中味のガラス瓶のエンボスが一致しない例は、戦中、戦後よくある事例のようです。おそらく瓶の再利用でこうしたことが起こるのでしょうか。
なお、「ビーナス牛若」に関してはこんなことがあったようです。
・「ビーナス」問題
昭和11年頃、「ビーナス」という名前の製品が発売され、新聞紙上に広告が出されました。ところが、翌年突然製品名が「ビナス」となり、新聞広告にも変更が伝えられました。このことは何を物語っているのでしょうか。おそらく、「黒胡蝶」の商標事件から、類似商標に関しての意識が高まってきたため、販売中に敢えて名前を変更したのでしょうか。ただ、「ビナス」でも変わらないような気もしますが。
(9)わか君(わかきみ)
発売年:昭和20年以降
発売元:帝国製薬株式会社
製品形態:粉末三剤式
ガラス瓶:丸瓶
(コルク栓)
(スクリュー)
<解説>帝国製薬は四国の大手製薬会社です。四国の白髪染会社としては、「クロカミ」の富松商店(製薬)、「ワカガミ」の国府工業合資会社が知られています。
画像出典:ブログ「ジリジリ」2014.9.12
(10)羽衣(はごろも)
発売年:昭和初期(昭和5年の広告)
発売元:青木嵩山堂(あおきすうざんどう)
製品形態:粉末三剤式
ガラス瓶:丸瓶
とっくり型
<解説>「羽衣」には、コルク栓、スクリュー合わせて4種類のガラス瓶が見つかっています。
年代的には未だ特定できていませんが、おおよそ形状から判定できます。
3.ガラス瓶のみ判明しているもの
この項では、情報が少ないガラス瓶について紹介します。
(1)コクオー
発売年:大正2年(広告より)
発売元:コクオー商会
製品形態:液体二剤式
ガラス瓶:平瓶
<解説>コクオーは大正2年発売のようですが、大正4年になると「安全コクオー」と名前を変え、しばらく販売されていたようです。
なぜ変えたかは不明ですが、衛生試験所にパラミン不使用の証明書を広告に掲載していることから、安全性を強調した名前としたようです。
ちなみに、「コクオー」の意味は「白髪染の黒王」とのことです。
画像出典:庄司コレクション
(2)コクスイ(国粋)
発売年:昭和11年頃(広告より)
発売元:富松商店
製品形態:粉末一剤式
ガラス瓶:平瓶
<解説>「コクスイ」は「クロカミ」を発売していた、富松商店がその後継として販売を始めた、粉末一剤式の製品と考えられます。
(3)黒の花
発売年:大正11年以前(瀬木文献より)
発売元:伊藤商会
製品形態:液体二剤式
ガラス瓶:角瓶
<解説>「黒の花」は大正11年の医学系雑誌に製品名の紹介があり、おそらく大正時代半ばの製品で、「ナイス」と同じ液体二剤式製品ではないかと思われます。
写真からは甲剤、乙剤の表記は不明ですが、おそらく口が広い方が甲剤、細い方が乙剤と思われます。
(4)つやぬれ羽
発売年:大正9年以前(明治末から大正初めか)
発売元:竹中尚徳堂
製品形態:液体一剤式
ガラス瓶:染料瓶
<解説>大変古い製品で、瓶の形状やエンボス、製品名など「千代ぬれ羽」を模倣した製品と思われます。
大正9年の医学系雑誌に、現在休業中との説明がありました。
(5)孔雀園
発売年:大正初期?
発売元:孔雀園
製品形態:粉末二剤式、粉末三剤式
ガラス瓶:角瓶
丸瓶
<解説>古い製品です。角瓶は「君が代」と同じような粉末二剤式と思われます。
ガラス瓶のエンボスは「孔雀園」ですが、どうやら丸瓶は「黒羽根」という粉末三剤式製品のようです。
画像出典:ブログ「小さなたからものを探して」2019.8.12
庄司コレクション
(6)助六
発売年:大正時代?
発売元:三友合資
製品形態:液体二剤式、粉末三剤式
ガラス瓶:丸瓶
平瓶
<解説>「ナイス」に類似した着色平瓶と、「るり羽」タイプの丸瓶が見つかっています。この平瓶は2013年に府中市歴史館で展示されたものです。
画像出典:ブログ「足下から瓶が」2016.10.5
(7)毛髪美粧料「富士」
発売年:昭和4年頃(広告より)
発売元:
製品形態:液体二剤式(煉製)、粉末二剤式(粉製)
ガラス瓶:平瓶
丸瓶
<解説>結構古い歴史のある白髪染のようで、広告からは2種類の製品が書かれています。平瓶は液体二剤式、丸瓶は粉末二剤式タイプのものでしょうか。
画像出典:庄司コレクション
(8)かむろ
発売年:昭和24年(粧工連資料より)
発売元:黒田製薬株式会社
製品形態:粉末一剤式
ガラス瓶:平瓶
<解説>「パオン」より早く発売された、おそらく「納言」「クロカミ」などと同様の、粉末一剤式製品と思われます。
<資料>
・ホーユー社史「55年のあゆみ」
・化粧品工業120年の歩み(日本化粧品工業連合会)
・小間物・化粧品「業界年鑑」(東京小間物化粧品商報社)
白髪染の調査・研究をしています。ガラス瓶の発掘はできませんが、古い資料の発掘には自信があります。
住まい:愛知県 性別:男 年齢:68歳 趣味:家庭菜園