「もうちょっと詳しい白髪染の歴史」第1回 日本の白髪染はいつから始まったのか?

<はじめに>

前回までの「ちょっと詳しい白髪染の歴史」では、18回にわたり古代から昭和の終わりまで、白髪染製品史を中心に紹介してきました。

そこから分かったことは

・オークションなどを通じて、明治時代以降の白髪染製品の発掘が進んだこと

実際、オークションを始めてから10年くらいの間に、「千代ぬれ羽」「二羽からす」「ナイス」などの歴史的な製品が見つかり、製品仕様などから使用方法、製品特徴などを確認することできました。

・明治時代以降の技術、特許、法規制などの流れが確認できたこと

特許、薬事法、更に業界の活動などもわかった。

・これらに反して、江戸時代以前の白髪染の状況がほとんどわからなかったこと

資料、文献が非常に少ないことが影響していると考えたが、文献調査が不十分なことがわかった。つまり、今回のテーマである「白髪染はいつごろ登場したのか」について考える場合に、江戸期の文献をよく調査する必要があることがわかりました。そこで資料を探したところ、平成22年の内藤記念くすり博物館での展示会「綺麗の妙薬」において、「医心方」という古い医学書のなかに白髪を黒くする方法があることや、江戸時代の「都風俗化粧伝」の中にも白髪への対処法が紹介されていました。

展示会チラシ
展示会チラシ

そこで、これらの資料を出発点にして、白髪染に関して再度検討を始めたいと思います

1.「医心方」とは

当時はまだその内容について、ほとんど理解していませんでしたが、新たに見直してみると、日本の白髪染の歴史において、重要な意味を持っていたことに気が付きました。
今回から「もうちょっと詳しく」白髪染の歴史を見ていきたいと思います。

(1)「医心方」の内容

古代の日本において、中国からの情報は大変重要であり、仏教以外にも医学関係の資料もその一つと思われます。日本最古の医学書といわれる「医心方」はそのうち最も重要なもののひとつです。
「医心方」は、平安時代の朝廷の行鍼博士(鍼灸専門)丹波康頼(912~995年)が隋(581~618)唐(618~907)以前の203文献から撰集し、まとめたものです。(984年)
全30巻からなり、そのうち巻4第一章から第十二章が毛髪に関するもので、今回は白髪に関する第四章と第五章を紹介します。

第四章「白髪を治して黒くする方法」
第五章「鬢髪の黄ばみの治療法」

   巻1  医学概論篇、薬名考    巻16  腫瘤篇

   巻2  鍼灸篇          巻17  皮膚病篇

   巻3  風病篇          巻18  外傷篇

   巻4  美容篇          巻19  服石篇1

   巻5  耳鼻咽喉歯篇       巻20  服石篇2

   巻6  五臓六腑気脈骨皮篇    巻21  婦人諸病篇

   巻7  性病・諸痔・寄生虫篇   巻22  胎教出産篇  

   巻8  脚病篇          巻23  産科治療・儀礼篇

   巻9  咳嗽篇          巻24  占相篇

   巻10  積聚・疝か水腫篇      巻25  小児篇

   巻11  痢病篇           巻26  仙道篇

   巻12  泌尿器科篇         巻27  養生篇

   巻13  虚労篇           巻28  房内篇

   巻14  蘇生・傷寒篇        巻29  中毒篇

   巻15  廱疽篇           巻30  食養篇

(2)「医心方」の経緯

・984年、「医心方」は丹波康頼により撰集され朝廷に献上。

・1554年、半井家に下賜される。

・幕末に幕府の命により半井家が提出、写本が作成される。

・1982年、文化庁が半井家より買い上げ、1984年、国宝に指定される

ここで着目する点は、「医心方」が朝廷に渡って以降、一般に広がった形跡がないことです。
ただ、医心方は内容が多方面にわたりますので、「白髪染」に関する部分だけで全体を断定するのは正しくないかもしれませんから、ここでは、医心方の「白髪に関する部分」のみで検討しています。

(3)「医心方」第四章、第五章の内容について

第四章「白髪を治して黒くする方法」

◎病源論

(引用)①血気が衰弱していると腎臓の機能が低下し、腎臓の調子が悪い  と骨髄が枯渇してしまう。だから髪が白くなってしまう。

    ②髪を千回以上、櫛で解かすと、白髪にならない。

    ③正月一日に五香(栴檀、沈水香、安息香、丁子香、鶏舌香)を用意し、煮て湯をつくり、これで洗髪すると白髪にならない。

病言論では、他の資料とは異なり処方は示さず、原因や症状などを記しています。

◎化学的な処方が示されているもの

後世の資料にもみられるような、化合物、化学反応を含むような文献が紹介されています。

①白髪を大豆煎で染める方法  出典:後宮諸香薬方(隋 581~618年の時代)

 (引用)漿(人工的に作った酢液)で大豆を煮てその煎汁で染めると漆のように黒くなる。

大豆、黒豆などに含まれるイソフラボンは白髪に有効なことはよく言われています。また、鉄とタンニンのような「お歯黒」タイプにも通じる内容かと思われます。

②白髪治療法  出典:葛氏方(晋 265~420年の時代)

 (引用)まず、きれいに洗髪したあとで白灰と胡粉(塩基性炭酸鉛)を同量ずつ用意し、漿にとかして温める。これを夜、寝るときに塗布したあと、油衣で髪をすっぽり包み、翌朝きれいにすすぐこと。
ここにあるような鉛を使った製品は、明治時代に入ってから発売されています。
鉛が毛髪中の硫黄と反応して黒く染まることがこのころから知られていたようです。
なお、胡粉は室町時代以前には塩基性炭酸鉛を指していたそうです。

③髪を黒くしようとする処方  出典:僧深方(宋斉 420~589年の時代)

 (引用)八角附子(八角ウイキョウ)     一個

八角ウイキョウ
八角ウイキョウ

    上等の酢              半升

これを銅の鍋に入れ煎じ、二回、沸騰させ、良質の礬石(ミョウバン)、博碁(すごろくの石)の大きさくらいのものを一個、その中へ入れること。礬石が溶けてしまったら、上等の香脂三両を入れ混ぜ合わせ、火から下して地面に置く。(そうして冷ましてから)ていねいに洗い、脂が凝固したら採って<よう>の中に入れる。白髪を抜いたあとへ、この脂を一日三回塗ること。
ここでは白髪ではなく、髪が黒くない人、つまり赤毛の人を対象とした方法を示しています。このころから既に髪を染める対象が、白髪、赤毛と二種類に分かれていたことがわかります。

④白髪染めの術  出典:如意方(梁 502~551年の時代)

 (引用)穀実(カジノキの果実)を採って搗き、汁を採取し、これを水銀と混ぜたもので髪を拭けば、髪は全部黒くなる。

カジノキの実
カジノキの実

 水銀は有毒ですが、鉛のほかに金属が既に用いられていたようです。

科学的な根拠の不明なもの  出典:千金方(隋唐以前の時代)

①(引用)1月4日、2月8日、3月13日、4月20日、5月20日、6月24日、7月28日、8月19日、9月25日、10月10日、11月10日、12月10日に白髪を抜くと、再び白髪にならない。

②白髪を元(の黒髪)に戻す術  出典:如意方

 (引用)五日と八日の午の日に白髪を焼く。

③(引用)癸亥(みずのとい)の日に白髪を抜き、甲子(きのえね)の日にこれを焼くと、白髪が生えなくなる。  出典:如意方

◎効果不明なもの

①(引用)白髪を抜き、上等の蜂蜜を毛孔に塗りつけると、黒髪が生えてくる。  出典:葛氏方

蜂蜜(はちみつ、ほうみつ)は漢方薬としても用いられています。

②(引用)生の油に烏梅(うばい)を漬け、それを頭につける。  出典:千金方

烏梅(未熟な梅の実を干していぶしたもの)は漢方薬や染料の媒染剤として用いられる。

烏梅
烏梅

 ③(引用)熟した桑の実を水に漬け、これを服用すれば黒髪になる。  出典:如意方

桑の実
桑の実

桑の実は食用に、生薬としても用いられるようです。
桑の根(桑白皮)も漢方として、また髪を黒くするのに用いた例が「都風俗化粧伝」にみられます。

④鬢や髪のしらが染めの処方  出典:極要方

(引用)しばしば大麻子の煎汁でこれを洗うと、実に効く。

大麻子
大麻子

大麻子(トウゴマ)の汁、ひまし油は「髪にツヤを出す」ものとして書かれています。

⑤白髪の治療法  出典:龍門方

(引用)皁夾湯(マメ科皁夾の果実で作った薬湯)できれいに洗い、拭いて乾かしてから、古い油滓を

白髪に一日三回塗ること。

⑥白髪治療法  出典:千金方

(引用)黒胡麻を九回蒸し、九回さらして乾かし、粉末にして、棗膏と練り合わせたものを九回服用せよ。
この内容と同じものが、「都風俗化粧伝」他にもみられます。

⑦白髪を黒髪に戻す術の処方  出典:霊奇方

(引用)隴西白芷(隴西産ヨロイグサ)          一升

    旋復(ホソバオグルマ)             一升

    秦椒(イヌザンショウの果皮)          一升

    上等の桂心(クスノキ科のニッケイ属ケイの樹皮) 一尺

合わせて搗き、篩にかけ、井花水(一日の最初に汲んだ井戸水)で方寸匙一杯ずつ、一日三回、三十日間服用すると、白髪はことごとく黒くなる。       

ヨロイグサ
ヨロイグサ
ホソバオグルマ
ホソバオグルマ
イヌザンショウ
イヌザンショウ

第五章「鬢髪の黄ばみの治療法」

古代の人も、ひげや髪が真っ白は美しいが、黄ばんだ白髪状態は良くないことに気づいていたようで、現代と全く同じ感覚であったようです。

①鬢髪に黄ばみの治療法  出典:葛氏方

(引用)梧桐(アオギリ)を焼いて灰にし、乳汁を混ぜ合わせたものを、紙の地肌や鬢髪に塗ると黒くなる。

アオギリ
アオギリ

②鬢の黄ばみの治療法         出典:如意方

(引用)胡粉と白灰を同量ずつ水と混ぜ合わせ、鬢に塗ること。別な処方では、つくりみずで混ぜ合わせ、夕方にぬり、明朝に洗い去ると、黒くなる。

③鬢髪を漆のように染める、あらたかな処方  出典:録験方

(引用)胡粉         三両

    石灰         三升

泔(米のとぎ汁または重湯)で胡粉と石灰などを混ぜ合わせる。一両を煮立て、温かいうちに手にとり、髪にまんべんなく行き渡らせて洗髪する。急に痛みを感じたら水でこれをすすぎ、一晩たってからまた、朝それを温め直して塗り、泔で洗い流す。また、冷水で濯いで油を塗ると、漆のように黒くなる。

胡粉を使った上記2例は、鉛が広く使われていたことがうかがわれます。

引用文献:「医心方にみる美容」王朝人の秘法   槇 佐知子  ポーラ文化研究所(1983)

「医心方」事始 日本最古の医学全書  槇 佐知子  藤原書店(2017)

 (4)「医心方」の果たした役割

中国の隋、唐時代までの医学的な情報の中には、明治時代にも使われていた金属染毛剤の処方に近いものもみられ、時代から見ても国内最初の白髪染に関する貴重な資料と思われます。
しかしながら、この「医心方」は長らく門外不出のようで、結局江戸の終わり頃まで一般に知られることがなかったようです。
つまり、江戸末期まで国内では「医心方」にあるような「鉛」を使用した染毛剤が作られていないと思われます。

(5)出典について

   ・病源論・・・隋(581~618)の煬帝の命によって610年成立。

   ・葛氏方・・・葛氏(278~339)は晋()の医者。

   ・千金方・・・隋書経籍志、唐書芸文志に名がある。

   ・霊奇方・・・宋史芸文志に名がある。

   ・僧深方・・・釈僧深は宋斉(420~589年)の人

   ・極要方・・・不明

   ・龍門方・・・不明

   ・孟詵食経・・唐書芸文志に名がある。8世紀なかごろの文献。

   ・如意方・・・南史巻八、梁(502~551年)の簡文帝紀にある。

   ・録験方・・・新、旧唐書(945,1060年成立)に登場する。

<まとめ>

・1000年以上昔、中国で鉛を使った白髪染の処方が存在したこと。

今までの調べでは、鉛を使った白髪染は、明治15年ごろの「烏羽玉 うばたま」が最初と考えていました。しかし江戸時代にオランダ(阿蘭陀)から輸入されていた「志らが染薬」が鉛を使った製品かどうか、調べてみたいと思います。

・植物成分を用いた処方例のなかに、江戸時代の文献と共通するものがあること。

以前報告した江戸時代の美容書「都風俗化粧伝」(1813年)の「髪の部」にも、大豆を白髪染に応用した例や使用法など、同じ内容のものが見受けられます。
医心方とは別のルートで伝わった文献なのか、もう少し詳しく調べる必要があります。

・中国からヨーロッパに「医心方」にみられる処方が伝わった可能性が考えられる。

世界三大発明は中国が発祥であり、医心方にある鉛処方の白髪染がヨーロッパに伝わり、オランダから鎖国の日本に伝えられた可能性が考えられます。ヨーロッパと日本国内の状況をもう少し詳しく調べる必要があります。

・古代から白髪を黒くする、明るい髪(赤毛)を黒くするといった需要と目的別の対応処方が確立していた。

いままで白髪をなぜ染めるかといった点からしか見てこなかったが、赤毛、黄ばんだ髪を元に戻すとの観点から、再度調べなおす必要があるかもしれない。
おそらく「医心方」はごく一部の世界の情報として、一般社会に登場することはなく、別の形で江戸時代に伝わったのではと推測しています。

では、江戸時代に登場した白髪染とはどのようなものであったか。

この点を検証するために、日本最古の医学書に、「金属染毛剤」のルーツを見つけましたが、どうやら別のルートの検討が必要のようでした。次回から白髪染が登場した江戸時代の調査を、もう少し詳しく進めていきたいと思います。

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