第2回 白髪染登場以前

平成30年9月の朝日新聞生活面に、フリーアナウンサー近藤サトさんの「白髪を隠さない、心が楽に」というインタビュー記事がありました。

また、最近の中国要人に「グレーヘア」が目立ってきたとの記事もあり、時代は自然体の方向に流れている感があるようです。

白髪染が登場する前には、当時の人たちはどのように白髪を意識していたのでしょうか。

 

1.万葉集における白髪の歌

平城京

万葉集の中にもいくつか「白髪(しろかみ、しらか)」を詠んだ歌があります。

   巻四・563 大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)

       黒髪に 白髪(しろかみ)交り 老ゆるまで

       かかる恋には いまだ逢はなくに

   巻四・628 佐伯宿祢赤麻呂

       白髪(しらか)生ふる ことは思はず をち水は

       かにもかくにも 求めて行かむ

   巻十七・3922 左大臣橘宿祢 詔(みことのり)に応ふる歌

       降る雪の 白髪(しろかみ)までに 大君に

       仕へまつれば 貫くもあるか

   巻十六・3793

       白髪し 子らに生ひなば かくのごと

       若けむ子らに 罵らえかねめや

白髪によって老いを詠むことはすでに「万葉集」に見られる。

平安期には老いを基本に置きながら、白い色やその状態を取り上げて、親近性のある他の歌材を取り合わせ、白髪そのものが景物として詠まれるようになる。

と、辞典に書かれていました。

 

2.民話における白髪について

からす姫

日本各地に髪にまつわる民話が残されています。

ここで紹介するのは福岡県朝倉郡筑前町の三箇山 五玉神社に伝わる話です。

夜須町の民話「白羽染めの井戸」として伝わる話で、昔、白いカラスがこの井戸で水浴びしていたら黒くなった。

これを伝え聞いた都の姫は、若白髪で髪が真っ白なことを嘆き悲しんでいたが、この井戸を求め、はるばる九州まで来た。

苦労の末、この井戸の水を浴びて、見事黒髪となり都に戻ったという。

現在も、「黒髪井戸」の名でのこっており、人々が訪れています。

いつの時代にも若白髪はあるようで、当人の苦労は大変であったと思われます。

ところで、大正時代の新聞広告に「若白髪」を扱ったものがありました。

  大正時代の新聞広告

大正時代の新聞広告2

当世式のハイカラ美人だが、もって生まれた若白髪の女性。

嫁にやってからが心配と母親が買い求めた白髪染。

とにかく染まって、嫁に行ったが段々剥げてほどなく破談。

今度ははげることがない白髪染をと、ついに手にした染毛剤「ナイス」。

いろいろあって、結局元の鞘に収まり、めでたしめでたし。

3.中世の文学

源氏物語や枕草子などにも白髪に関する表現はあると思いますが、ここでは割愛します。

 

4.武家の時代

斎藤実盛という武将が歴史に名を残した理由の一つに、記録に残る最初に「髪を染めた」人物であることです。

こののち、多くの歴史関係の書籍に取り上げあれています。

 

斎藤実盛の逸話

斎藤実盛(さいとう さねもり)は越前出身の平安末期の武将(1111年~1183年)。初めは源義朝に仕えていたが,後に長井庄(埼玉県熊谷市妻沼)の別当となりました。

1183年、木曽義仲追討のため、北陸の篠原にて戦死しました。(享年72歳)

篠原古戦場

敵に「老人と侮られぬよう」にと白髪を墨で染め戦った様子が、「平家物語」「源平盛衰記」ほか多くの歴史、絵巻に描かれています。

源平盛衰記

篠原古戦場(小松市)近くにある多太(ただ)神社には、髪を染めている姿の実盛像や、兜の碑文、さらに江戸時代には松尾芭蕉がこの地を訪れた際に詠んだ「むざんやな 兜の下の きりぎりす」の句碑もあります。

多太(ただ)神社

斎藤実盛像

兜の碑文

松尾芭蕉の句碑

江戸時代にも実盛の名は知られていましたが、例えば誹風柳多留(はいふうやなぎだる)にはこの様に詠われています。

なお、誹風柳多留とは江戸時代、明和二年(1765)~天保十一年(1840)まで、ほぼ毎年刊行されていた川柳の句集です。

 一五九・18 白髪を黒く染めたのは赤へ義理

ここでいう赤は平氏の旗印のことであり、源氏は白であった。

実盛は平氏側の武将であったので、白髪の白で出陣するのははばかられると考え、平氏への義理で黒く染めた、という内容。

    三七・13 実盛は大ざらひ程墨をすり

      一五〇・4  実盛が首を洗ふと墨流し

首実検をした後、池で洗わせたところ,墨が流れ白髪が現れた様子を墨流しと詠んだ。

なお、実盛が白髪を染めたのは「墨」であったことに間違いはないと思われますが、実際のところ白髪を「墨」で染めようとすると、髪の油分ではじかれ、うまく染めることができません。

実際に試験してみましたが、染める前に髪をよく洗うと染めることができました。

白髪染の古い製品では「髪を洗ってください」との注意書きがありますが、果たして実盛はこのことを知っていたのでしょうか。

 

5.江戸時代の白髪について

江戸時代の白髪染については次回詳しく解説しますが、ここでは川柳に登場する「白髪」について紹介します。

   十・5   髪置は白髪のたねをまきはしめ

髪置とは幼児が頭髪を剃ることをやめて伸ばしはじめるときの儀式

  十六・13 白髪抜き仕廻ふとやりて又ねめる

白髪を抜いてもらっている様子でしょうか。

やめようとするともっとやらせてとにらむ。

  一四四・27 白髪をば一筋毎に母に見せ

これも母親の白髪を抜いてやっている様子を詠んだものでしょうか。

万葉の時代から江戸時代まで、白髪に対する記録や歌、川柳などを見てきましたが、ごく自然体な考え方であったような気がします。

江戸から明治にかけて、「白髪染」の登場が、使う人の意識をどのように変えていったのか気になります。

参考資料

・朝日新聞 平成30年9月、平成31年3月

・萬葉集 釋注  伊藤 博  集英社  1996年

・歌ことば歌枕大辞典  久保田 淳  角川書店  平成11年

・夜須町の民話と伝統  夜須町文化財専門委員会 監修

・「ナイス」新聞広告  大正3年9月 名古屋新聞

・誹風柳多留全集 岡田 甫 三省堂 昭和59年