第6回 明治時代・前期の白髪染(その2)

白毛液 ガラス瓶とパッケージ

1.技術開発について

時代も新しくなり、海外から導入された製品に対し国内でも製造しようとの機運が高まってきます。化粧品分野では、福原有信、長瀬富郎、小林富次郎などの先駆者が登場しましたが、白髪染の分野ではどのようだったのでしょうか。

(1)国内の状況

東京都公文書館に明治13~14年(1880~81)にかけて、白髪染の発売願を東京府に申請した資料が残されていました。

・明治13年5月  森島伝蔵  白髪染薬発売願。

・明治13年5月  浅野重僖  白髪染薬発売願

・明治13年8月  大鐘立岱  白髪染粉発売願

・明治14年5月  吉野恒次郎 白髪染発売願

・明治14年7月  矢田猪平  烏羽玉白髪染粉発売願

この中でも、矢田猪平の発売願には、内容成分名とパッケージが添付されており、別途発見の使用説明書と合わせ、これが「明治時代最初に発売された製品」の一つと思われます。

なお、佐藤中哉が「毛染めの歴史」(女性モード社)のなかで、「明治14年 若緑しらが染発売、明治第一号の毛染」と記していますが、その出典、製品についての確認はできませんでした。

(2)ヨーロッパの状況

多くのブログやHPで書かれている、近代ヨーロッパの染毛剤の歴史については、ほとんどが下記の年表にあるように酸化染料しか触れていません。

1818年  フランス  テナール  過酸化水素の発見

1863年  ドイツ  A.W.ホフマン  パラフェニレンジアミンの発見

1883年  フランス  P.モネー  過酸化水素/パラミンの特許

1889年  ドイツ  H.エルドマン  ジアミン類の特許

1889年  ドイツ   H.エルドマン  ジアミン類の特許

1907年  フランス  E.シュエレール 製品化

では、それ以前はどの様な染毛剤が使われていたのでしょうか。

ある文献には、「ヨーロッパに行はるる多くの白髪染の主なる原料は鉛又は銀」との記述があります。(明治30年「化粧品製造法」より)

また別の文献(明治24年「実地製造化学」より)には、ラーゼウン氏染毛剤(硝酸銀使用)や、ハーゲル氏無害染毛剤(次硝酸蒼鉛使用)のような開発者名のついたものも紹介しており、金属染毛剤を使用していたことを裏付けています。

2.製品紹介

現在、明治時代前期と確認される製品は1点のみで、製品の形状がわかる写真資料のあるものが1点、それ以外は広告又は名前のみが残されているものとなっています。

(1)製品が残っているもの

(2)写真資料が残っているもの

(3)広告だけが残っているもの

(1)白毛液

発売元 : 十川保生堂(大阪)

白毛液 ガラス瓶とパッケージ

成分  :    ――

白毛液 説明書

    : 

白毛液 広告

コメント:ガラス瓶は試薬瓶でエンボスはなし。この時代の製品として確認されているのは現在のところこの一点だけです。 

 

(2)志らがそ免粉(白髪染粉)

発売元 : 至誠堂 矢田猪平

志らがそ免粉 パッケージ

成分  : 鉛 

志らがそ免粉 説明書

    :内務省警察庁許可 明治36年10月

コメント:この製品が「アドミュージアム東京」の錦絵「おや、きれいになりましたね」の中に描かれています。興味のある方は錦絵を検索してください。

 

(3)その他

・安全しらがぞめ染毛液(不変染漆黒染毛液 やたがらす印)

 発売元 : 伊藤泰山堂

安全しらがぞめ染毛液 広告

 成分  : 硝酸銀

・志らが赤毛の人(軽便安全白毛赤毛染液)

 発売元 : 岡田商店

 成分  : 硝酸銀

     : 明治40年11月 許可

志らが赤毛の人 広告

・しらが赤毛染

 発売元 : 楽天堂薬房

しらが赤毛染 広告

 成分  :  ――

・志らが赤毛の人に告ぐ

 発売元 : むすな家 

志らが赤毛の人に告ぐ 広告

 成分  :  ――

<コラム1> (1)「白毛液」の説明書から

「白毛液」の説明書から

上記の説明書のなかに面白い記述がありましたので紹介します。

「牛馬の毛を染むるも用法及び使用は同一の事とす」とあります。恐らく焼き印の代わりに使うためと思われますが、こんな古くから使われていたとは驚きです。現在南九州市の条例には脱色剤、白髪染の使用が書かれていました。

 

3.お歯黒について

多くのブログやHPには、明治の中頃までは「お歯黒で10時間かけて染めていた」との記述が目立ちます。明治に入ってお歯黒禁止令のため、お歯黒の別用途を探さなければならない状況であったと思われます。どのような変遷をたどったか、調べてみました。

(1)お歯黒とは

お歯黒とは江戸時代に女性の風俗として定着した、葉を黒く染める習慣のことを指します。

鉄漿水(かねみず)と五倍子粉(ふしこ)からなり、それぞれ主成分は、酢酸第一鉄とタンニン酸です。

(2)その染め方(髪に対して)

お歯黒の使い方は多くの資料がありますので、そちらを参照ください。ここでは髪を染める方法について紹介します。

佐藤中哉の「毛染めの歴史」には、「方法は、日本髪時代の事であるが、まずくせなおしをし、かづらを煮こんで粘性の液を作る。この液を白髪の部分に塗布し、その上から、おはぐろをとかし塗り乾燥させるとかづらの膜におはぐろが染めつき一次的に白髪を黒く染めつけた。」と記述しています。非常に手間のかかる方法で、果たして老人一人で出来る事でしょうか。

(3)烏翠膏の例

烏翠膏の例 記事

また、昭和8年の女性雑誌「婦女界」の「絶対にかぶれぬ白髪染烏翠膏」という記事に、このお歯黒タイプの染め方が記載されています。

「染粉1缶を土鍋にあけ、塩少々、番茶を濃く煮出した汁を冷まして少しづつ混ぜる。弱火にかけ粘りが出たら、冷めすぎぬうちに紙に塗る。髪全体に紙を張り、濡らした手拭いで包み、なおその上からタオルで二重ほど包み、蒸すようにして八時間ほどおきます。」

こうした染め方から、「蒸し染」という名前も付けられました。

これも結構大変手間のかかる方法で、なかなか一人で出来るものではありません。

(4)その後の展開について

 ・昭和の初めは「安全染毛剤」として

黒若

明治の終わりごろから、「かぶれ」の問題が起こり、昭和の初めにお歯黒が見直され、かぶれない白髪染ということで、いろいろな製品が登場してきます。全国各地で講習会を開き、使用法の指導を行っていた製品もありました。ただ、使いにくさ、品質などで満足のいくものができず、定着することはなかったようです。

・戦後を代表する製品「マロン」「ビーマン」

マロン

ビーマン

そうした中、三剤式の「ビーマン」が戦前に登場し、さらに戦後になると二剤式で簡便な「マロン」が発売されました。その後、「ビーマン」も二剤式に改良して「ネオ・ビーマン」として発売されました。

・現在も「マインドカラー」として

マロン マインドカラー

両製品は平成まで続いていましたが、「マロン」は剤型をクリームタイプに換え、現在も唯一のお歯黒式染毛剤として存続しています。 

<コラム2> 大正時代にもお歯黒が?

お歯黒 萩の露

明治初期に禁止されたお歯黒ですが、明治30年ごろには使いやすい「べんりおはぐろ」として何種類か発売されています。今回の「萩の露」は大正5年許可と書かれており、この頃もまだお歯黒が発売されていたことは興味深いです。

 

4.まとめ

酸化染料が登場する前のこの時期に使われていた白髪染について、多くのブログ、HPでは「お歯黒を利用した、タンニンと鉄、10時間かけて染めていた」と書かれています。今回、数多くの白髪染、お歯黒の資料にあたりましたが、お歯黒で10時間かけて染めていた、という例を見出すことができませんでした。むしろ江戸時代から続く、墨や植物を使用したものや、銀、鉛、鉄などの金属の例が多数発見されました。特に、硝酸銀と鉛化合物の例が多く見つかりました。以上の結果から、

明治時代前期は銀、鉛化合物利用した白髪染が主流であったと考えます。

では、銀や鉛の歴史が全く触れられていないのはなぜでしょうか。前回薬事行政の中で、明治33年の有害着色料の規制が関係しているのではと考えています。この点についてはさらに検討を進めたいと考えています。

<資料>

・化粧ものがたり  高橋 雅夫  雄山閣出版  1997年

・島根県歯科医師会 HP  葉の歴史資料館 https://www.shimane-da.or.jp/museum

・北多摩薬剤師会 HP  おくすり博物館      https://www.tpa-kitatama.jp/museum/index.html

・お歯黒のはなし  山賀 礼一  ゼニス出版  2001年

・お歯黒の研究   原 三正  人間の科学社  1981年

・お歯黒の歴史   杉山 茂  薬学史雑誌  42巻 1号  2007年

・東京都公文書館  「髪染」で検索           http://www.archives.metro.tokyo.jp/

・毛染めの歴史   佐藤 中哉  女性モード社