1.はじめに
先の4回では、ガラス瓶を中心に白髪染の解説を行ってきましたが、今回特別編の最後として、あまり知られていない「白髪染の販促物」を紹介します。
看板、ポスターからマッチ、そしてよくわからないものまで、今までオークションに登場したりブログで紹介されたものを中心に解説します。こうしたものを紹介される機会があまりなく、今回できるだけ多くのものを出していきたいと思います。
2.白髪染の販促物例
(1)看板類
商品や職業に関する看板(看版)類はかなり古くからあるようで、看板に関する文献は多数あります。第3回の本稿で江戸時代と思われる引札(紙製広告)を何点か紹介していますが、今のところ江戸時代の白髪染看板は見つかっていません。
看板に関する資料
・内川芳美「日本広告発達史」昭和51年
・八巻俊雄「日本広告史」平成4年
・増田太次郎「図説近世日本広告史」平成28年
・大伏肇「資料が語る近代日本広告史」
①木製看板
江戸時代から続く看板ですが、特に明治38年以降のものには、金箔貼りのいわゆる「金看板」と呼ばれるものがありました。おそらく新しい白髪染が大々的に宣伝され、薬局・薬店を通じて販売され、看板も飛躍的に広まり、豪華さを競ったものと思われます。しかし昭和に入り、戦争で資材が不足するにつれて木製看板は廃れていったようです。
看板例:
・特約店システム
看板の表面には製造元(本舗君が代、本舗丹平商会など)だけ書かれたものと、製造元とともに特約店(〇〇薬局)と、その看板を注文した店名が書かれたものがあります。特にこの特約店名の入った看板は、その店が製造元に発注し、販売を独占することができたので店側にメリットがあったようです。看板が広まった理由の一つが、この「特約店」制度ではないかと考えています。
・看板の発注について
現在確認されている木製白髪染看板はホーユーのものが多いようです。その理由としては、ホーユーの社史に創業者の営業方針として「新聞広告はせず、全国2000店余のお得意様による直接取引」があります。他社と比べ、直接取引、つまり「特約店」重視したため看板が広がり、結果として多くが残されたといったことが予想されます。
当時の看板の発注には、価格表がありました。価格的に安いか高いかわかりませんが、オーダーメイドで名入り看板ができることは、面白い宣伝方法であったと思われます。
例えば、中形看板(60cm×約30cm片面)金2円ですが、現在の感覚ですと数万円となるのでしょうか。結構高額のような気がします。
営業担当者が薬局・薬店と、看板の大きさ、図案を打ち合わせ、後日発送し代金を回収するシステムであったようです。一般的に看板は片面のものが多いですが、軒下につるし、裏表両側が見える両面タイプのものや、「猫イラズ」と「わかやなぎ」の2つの製品名を入れたものも現在知られています。
・立体看板
説明書によれば、「木製で広告面にはブリキが張られ描かれています。」とあります。ブリキのポスター と同じタイプで、おそらく戦後薬局の店頭に置かれていたのでしょうか。
<コラム>「元禄」看板のエピソード
ホーユー85年史に「元禄」木製看板に関する話がありましたので紹介します。ホーユー水野会長がウエラ社の美術館見学の際に「元禄」看板を見つけましたが、これは戦後ウエラを訪問した美容師一行が持参したものらしいと説明されました。その後、紆余曲折を経てこの看板はホーユーに返還されたとのことです。
海外流出品が戻ることは珍しいことではありませんが、同業他社から返還されたことは珍しいと思います。
②ホーロー看板
鉄などの金属表面にガラス質のコーティング、所謂「ホーロー」加工により屋外での耐久性を持たせたもの。戦後多く見られ、現在でも地方に行くと建物の壁に残っているものがあります。
薬局の軒下などに飾られていた看板が、長い間に地域の風景となり、旅行のブログに取り上げられていたことがあります。写真は広島と和歌山のものです。
昭和30年代に「元禄」看板は大量に作られたようで、10年ほど前まではオークションにも登場していましたが、現在全く見かけません。侍姿の看板は珍しく、海外でも人気で流出したといわれていますが、真偽のほどはわかりません。
③ポスター類
白髪染のポスター自体少ないのでほとんど残されていませんが、いくつか見つかっているものを紹介します。いずれも年代を特定するのは難しいのですが、例えば「君が代」のポスターに描かれている製品は、大正9年より前のものなので、このポスターは大正9年以前ということが分かります。
<エピソード>
更に「元禄」ポスターは、その特異な発見についての説明が書かれていましたので紹介します。
このポスターは昭和4年の雑誌「少年倶楽部」の付録「杜剣一声」(伊藤彦造画)を額装するため、元禄ポスターを裏紙として使ったのですが、85年ほどたった平成29年に額装を解いたところ発見されたという次第です。つまりこのポスターは昭和4年以前のものです。(なお元禄は大正10年発売です)
④その他
・紙看板
厚紙のポスターといった感じの紙看板です。古くからあったようですが、現物はあまり見かけません。耐久性に劣るため残っていないようです。
・ブリキ看板
ホーロー看板より安価で軽量であるため作られたようですが、耐久性に劣るため、これもあまり見かけないようです。今回見つかった「フェミニン」には同じ構図のポスターもありました。
・竹看板
この看板は竹製の「すだれ」に製品名、発売元を描いたもので、特許櫛と書かれている所から、おそらく着色料のようなタイプではないかと考えます。なぜ製品名が「大学」なのかは不明です。
いずれにしても珍しいものです。
・幡(ばん)
店頭などで旗竿の上に取り付けるためのもののようです。
・幟(のぼり)
これは現在もよく見られるもので、店頭によく飾っていたようです。
白髪染、看板類を所蔵する施設
上記で上げた以外に白髪染看板類を所蔵しているところを紹介します。
・エーザイ薬の博物館
岐阜県にある企業博物館ですが、「ナイス」「君が代」「二羽からす」の看板を所蔵されています。
・佐溝ホーロー看板研究所
静岡県にある個人の資料館です。ホーロー看板を多数展示しています。「元禄」のほか「ビゲン」の看板も所蔵されています。
・昭和ネオン
東京にある企業の資料館です。「君が代」看板が所蔵されています。
(2)製品関連
看板やポスターのような宣伝広告材のほか、製品周りの小物も何種類か見つかっています。よく見ると同じようなものがあることから、各メーカーが競って出していたのではと思われます。
①ダース箱、化粧箱
製品12本入りでボール紙製のダース箱です。
ダース箱3個入りでボール紙製の化粧箱もありました。
店頭に飾ったり、領収書入れなどにも使われたようです。
またこの化粧箱には、ブリキ製のものもありました。
さらに製品を運搬するものも出品されています。戦後よく見かけた「リンゴ箱」と呼ばれるもので、製品名やロゴなどが印刷されているもので、50ダースほど詰めると数十キロにもなったようです。
<コラム>「元禄」の侍姿について
ホーユーの社史によれば、この侍姿は「元禄時代のスター、大石由良之助(大石内蔵助)」をモデルにしているそうです。正面でなく、エジプトの壁画のように横向きの姿が斬新であったようです。
「看板」の項目でも引用したように、創業者は新聞広告を避けていたようで、ほとんど見つかりませんでしたが、昭和2年と4年の広告がありました。興味深い点が見つかりました。
侍の「顔」の部分を比較するとずいぶん印象が違います。昭和4年はその後の製品にみられる「顔」と同じですが、昭和2年は全く違います。この違いは、昭和2年は「素人」が、そして昭和4年以降は「プロ」が描いていたのではと推理しています。ホーユーの85年史にも「創業者が名称と小箱デザインを考えた」とありました。
②手提げ袋
販売員が集金などのために使った、きんちゃく袋型の「手提げ袋」が販促品にもなったようです。
今でいうエコバックのようなものでしょうか。
③チラシ
製品の特売に関するチラシ類は多数作られたようです。
発売10周年、20周年などの記念特売では、製品の発売年が特定できるので重要な資料です。
④はがき
年賀状、挨拶状などもお得意様に送られたようで、製品が印刷されていることが多いので年代を特定できる資料となります。
(3)広告関係
白髪染に関する広告としては、最も多いのが「一般新聞(全国紙)」「地方新聞」「業界新聞」などがあります。
また、雑誌類、特に女性雑誌にもみられます。また、これらの広告を取り上げた書籍の中に「白髪染」の広告が見られることもあります。
①新聞広告
新聞広告から得られる情報で最も重要なものは、「発売時期」に関することです。
例1:「ナイス」(丹平商会)の場合
・規定書から明治43年
・朝日新聞(大阪版)では明治43年の広告
・朝日新聞(東京版)では大正元年の広告
上記の結果より、「ナイス」は明治43年の発売と推定しました。
例2「:君が代(山吉商店)の場合
・朝日新聞(東京版)では大正3年の広告
・業界紙(東京小間物化粧品商報)では明治43年で、しかも「君か代」となっています。
この結果から、「君が代」は当初「君か代」として、明治43年頃発売と推定しました。
②雑誌広告
戦前の主要な女性向け雑誌にも、白髪染に関する特集記事や製品広告が見つかります。
・婦女界・・・同文館⇒婦女界社刊行。1910年(明治43)創刊、1952年休刊。
大正14年「無害の染髪料ネオス・ヘナ」山野千枝子
当時の美容界を代表する一人の山野千枝子の製品紹介記事です。
・主婦之友・・主婦の友社刊行。1917年(大正6)創刊、2008年休刊。
・婦人倶楽部・・講談社刊行。1920年(大正9)創刊、1988年休刊。
大正13年「欧州土産新化粧法美髪法」北原十三男
当時の著名美容家である北原十三男の紹介記事です。
③書籍類
新聞、雑誌の広告を集め、解説した書籍の中にも白髪染の製品広告が見つかります。
・新聞広告美術大系
・近代日本広告史
<コラム>全面広告について
現在では新聞の全面、見開き全面広告はよく見かけますが、明治38年から昭和16年の期間で
白髪染の全面広告は5件見つかりました。そのうちの1件が黒蝴蝶の広告です。作者は不明ですが、ポスターにもできるような作品です。
(4)その他
・マッチ箱
現在は販促品に「マッチ」はあまり見かけませんが、戦後よく登場したようで、白髪染に限らず様々な分野で作られたようです。
・つけ毛
よくわかりませんが、日本髪に「つけ毛」として使うための毛束ではないかと思います。
・「にわか半面」
変わったところでは、博多どんたくで見られる「にわか半面」を販促品としたようです。
<終わりに>
今回取り上げた「販促物」はごく一部ですが、様々な販促品が現在も続いています。
5回にわたって製品の他、広告宣伝、販促物などから白髪染を見てきました。白髪染の違った面白さが見られたかと思います。最近はオークションで白髪染に関するものがあまり見かけません、何か目新しいものがありましたら教えていただければ幸いです。
なお、次回からは「大正期の白髪染の歴史」に戻ります。
白髪染の調査・研究をしています。ガラス瓶の発掘はできませんが、古い資料の発掘には自信があります。
住まい:愛知県 性別:男 年齢:68歳 趣味:家庭菜園